る三日といえば明日のことだ――昨日小屋がけをして、きのうのうちに宣伝ビラを廻し――明日の興行に差支えないまでにしている。安直普請とはいえ、油断がならない――一方には、まだ初日の出ない興行場を見物に来た人が、原の四方を鹿《か》の子《こ》まだらに埋めるほどになっている。それにしても――もしや、この興行主は、親方のお角さんじゃあるめえか。
違う――お角さんは今度は、小屋を打ちに来たんじゃねえ、それに、やるんなら同じ山かんでも、もっと貫禄のあるところをやらあな。小屋だってお前、こんな安直普請をしなくたって、お角さんの面《かお》で行けば、当地第一等の常設を借り切って江戸前の腕を見せらあな――おいらのお角親方は、こんなアク抜けのしねえことはやらねえ、いったい、どんな奴が、何をやらかすのだ。
米友は前へ廻って木戸口を見ると、入口には大須観音の提灯《ちょうちん》そこのけの、でっかい看板があがっている。
それを読んでみると、米友の眼がまるくなる。
[#ここから罫囲み]
[#地から4字上げ]日本武芸十八般総本家
[#地から3字上げ]囲碁将棋南京バクチ元締
[#地から2字上げ]安直先生
[#地から5字上げ]大日本剣聖国侍無双
[#地から2字上げ]金茶金十郎
[#ここから3字下げ]
右晴天十日興行
飛入勝手次第
景品沢山 福引品々
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]勧進元 みその浦なめ六
[#地から2字上げ]後見 壺口小羊軒入道砂翁
[#地から2字上げ]木口勘兵衛源丁馬
[#ここで罫囲み終わり]
それを読み了《おわ》った米友が、無性に大きなくしゃみ[#「くしゃみ」に傍点]を一つしてしまいました。
「笑わしやがらあ!」
いくら名古屋がオキャアセにしたところで、こんないかさまにひっかかるタワケもあるまいと思われるが、あの辻ビラのおどかしと言い、今日のこの小屋の前景気と言い、万一こんなヨタ者にも相当に名を成させて帰すかも知れねえ――
米友が例によって、持前の義憤をそろそろと起しはじめました。
このごろでは米友も大分、人間が出来て、そうむやみに腹を立てないようにもなり、また腹を立てさせようと企んで来ても、笑い飛ばしてしまうほど腹の修行も多少は出来たものの、こう露骨になってみると、自分が侮辱されたというよりは、金の鯱城下の面目のために、義憤を湧かせ来《きた》るという意気込みを如何《いかん》ともすることができないらしい。
ばかにしてやがら!
いったい、ここをどこだと心得てるんだよ、瘠《や》せても枯れても尾州徳川の城下なんだぜ――
おいらも、この隣りの伊勢の国に生れたから、尾州城下の威勢なんぞは子供のうちから聞いて知ってらあ――
第一、ここには柳生様がいらあ――
尾州の柳生様は、江戸の本家の柳生様より術の方では上で、本家の柳生様にねえところの秘法が、この尾州の柳生様に伝わっているということだ、だから剣法にかけちゃあ日本一と言ったところで、まあ文句はつかねえわけだが、その柳生様がおいでなさる尾張名古屋のお城の下で、どこの馬の骨だかわからねえ安直野郎が日本総本家たあ、どうしたもんだ。
それからお前、宮本武蔵がここへ来て、柳生兵庫と相並んで円明流をひろめているんだぜ――
それからまたお前、知ってるだろう、弓にかけちゃ、この名古屋が竹林派の本場で、天下第一だろうじゃねえか。知らなけりゃ、言って聞かせてやろうか。
三家三勇士の講釈でも聞いてるだろう、星野勘左衛門が京都の三十三間堂で、寛文の二年に一万二十五本の総矢数《そうやかず》のうち、六千六百六十六本の通し矢を取って天下第一の名を取ったが、それでも足りねえと、同じ年の九年三月に、今度は一万五百四十二本の矢のうちから八千本の通し矢を取って、二度ともに天下一の額をあげたもんだ。
江戸の三十三間堂にも九千百五十本のうち、五千三百六十本の通し矢を取って江戸一の名を挙げたのは、やっぱり名古屋の杉立正俊という先生なんだ。
馬術にかけては細野一雲という名人があり、槍にかけちゃ近藤元高は、やっぱりその時代の天下一を呼ばわれたもんだ。
鉄砲では御流儀というと、稲富流があるし、軍学には信玄流、謙信流、長沼流――このほかにまだ大した名人が古今にうようよしている。棒にかけても尾張が独得で、近頃では高葉流の近藤さんなんぞも、そうあちらにもこちらにも転がっている代物《しろもの》じゃあねえぞ。
よし、よそならとにかく、この尾張名古屋へ来て、いくら大道折助で、識者は相手にしねえとはいえ、この看板は、フザケ過ぎてらあ――ここに米友の素質が爆発して、肩にしていた杖槍の手がワナワナと震え出しました。
よし! 明日はここへねじ込んで、安直と、金茶金十郎なるものの面《つら》の皮を剥いでやらあ、そうするのが名古
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