も、留まろうとも問題にはしていないが、あの人には逢いたいよ、あの人ばっかりは放せない、目の見えない人が好きなのだよ、わたしは……
 お銀様の眼は、やはり天の一方を睨めながら、冷然として、こういって言い返してやったつもりだが、昂奮がおのずから形に現われて、お高祖頭巾がわなわなと慄《ふる》えているのを見る。
 その時に、お銀様の頭脳いっぱいに燃えたったのは、躑躅《つつじ》ヶ崎《さき》のあの九死一生の場面と、染井の化物屋敷でどろどろにもつれ合ったあの重苦しい爛酔、瞑眩《めいげん》、悩乱、初恋は魂と魂とが萌《も》え出づるものだそうだけれども、魂と魂とが腐れ合って、そこから醗酵する快楽!
 それが忘れられない。
 弁信さん、せっかくだけれども、わたしはお前さんのことを考えているのではない、あの人のことを忘れられないでいるのよ。お前さんはどこへ行って、これからまた何をお喋りして歩こうとも、わたしは妨げない、わたしはわたしとして、好きな道を行くんだから、いいのよ。
 だが、それにしては、いったい、今度の旅は何だろう。あのお角という鉄火者《てっかもの》が、父を口説《くど》き落したその口車に自分も乗せられて、つい引張り出されただけの旅ではないか。
 あの鉄火者が、果してどこへわたしを連れて行こうというのだ。あの女に導かれていい気になっているつもりはないが、やっぱり行く先の目的――名所古蹟が何です、それをたずねて生字引になるはずでもないでしょう。山や水がちょっとばかり取りすまして見せたところで、それが何です。英雄だとか、豪傑だとかいう片輪者が、臍《へそ》を曲げたとか、腰をかけたとかいう名所古蹟なんていうものを見て歩いてどうなるのです。変った人間の顔を見たいのなら、二十五座の神楽師《かぐらし》に面揃《めんぞろ》いをさせて見た方がよっぽど手間がかからない――こんな無意味な旅行を、あんな頭の空っぽな女親方を案内にして歩いて、それで自分というものが慰められているほど、わたしというものはお人好しなのかしら。ああ、つまらない! ああ、無意味と索漠を極めた旅というものよ!
 わたしは、極暑のうん気の中に、巣鴨の伝中の化物屋敷の古土蔵の中を閉めきって、針で指を刺したあのどろどろの生活がいいのだが、ああ、その相手がいない、その人は今どこへ行っている、その行方《ゆくえ》を誰が知っている?
 わたしは今、引
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