は、子供を暇潰《ひまつぶ》しのおもちゃとして弄《もてあそ》ぶに過ぎない、と言った方が適当であることは、前にも申した通りです。
子供らの方では、最初見た、目の三つある怖《こわ》いおじさんが、必ずしも怖いおじさんではなく、ずいぶん屋敷も開放してくれたり、おいらたちと遊びもしてくれたりする、気のいいおじさんであるところもあるのを看《み》て取って、門が開けっ放しにされている限りは、無遠慮に入って来て、庭や屋敷の中を遊び場とすることになれています。
主膳は書道を楽しみながら、子供たちのガヤガヤを聞くと、またやって来たなと思いながらも、慣れていることだから、彼等が相当に騒ごうとも、こっちの書道|三昧《ざんまい》にあまり妨げとならないことを知っています。遊ぶだけ遊ばしておいて、うるさくなった時は追払えばよい、いけないと言えば彼等も素直に出て行くようになっている。
そこで主膳は、子供たちには取合わないで、相変らず書道に凝《こ》っていたが、そのうち、外で遊んでいた子供らが、座敷へ上って来たようです。それも、彼等のために開放すべき座敷は開放するように、区別してあるから、隠れん坊をしようとも、鬼ごっこをしようとも、「ここはどこの細道じゃ」をしようとも、あてがわれた座敷以外にハミ出さないことには、あえて干渉を加えないことになっているから心配はない。
こうして暫くの間、子供らの遊ぶがままに任せ、自分は自分の好むところに耽《ふけ》っていると、そのうちバタバタと、つい机の先の縁側で足音がしたには、さすがに主膳が書道|三昧《ざんまい》を破られました。
断わってあるのに、こっちへ来てはいけない、子供たちの遊ぶべき場所は、遊ぶべき場所として仕切ってあるのを、よく納得させてあるのに、それを破って来た奴があるな、こいつはひとつ叱ってやらなければなるまい――と、主膳が筆をさし置いていると、廊下を踏んだ足音が、一層近くに迫って来たのみならず、日当りのいい障子を挨拶もなく引きあけて、中へ飛び込んで来たのがあるから主膳も面喰わざるを得なくなりました。
「いけない、いけない」
と言ったけれども、その飛び込んで来た奴は、無神経か、一生懸命か、主人の制止なんぞは耳にも入れず、案内もなく居間へ飛び込んだ上に、主人の坐っているそのそばまで転がって来て、そうして主人、すなわち主膳の左の腋《わき》の下と机の間へ丸くな
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