より興行中止仕候」
[#ここで字下げ終わり]
 さすがの道庵も、米友も、津田生も、あいた口がふさがらない。
「ヨタ者は承知で来てみたが、お差止めには口あんぐりだ」
と言いながら、道庵はワザと大きな口をあんぐりとあいて、看板の上を見つめていたが、犬にでも喰いつかれたように、
「あっ! らっきょうだ、らっきょ、らっきょ、らっきょの味噌漬!」
と、目の色を変えて叫びました。

         十八

 神尾主膳が書道に凝《こ》っているということは、前にも述べたことのある通りで、閑居して不善ばかりは為《な》していないという、これが唯一の証拠かも知れません。
 日和《ひより》のいい時、気分の晴れた時には、日当りのいい書斎の、窓の明るい、机のきれいな上に、佐理《さり》、行成《こうぜい》だの、弘法大師だの、或いはまた義之《ぎし》、献之《けんし》だのを師友としているところを見れば、彼も生れながらの悪人ではないと思わずにはいられません。
 今日しも、珍しくその当日でありましたせいか、右の通りにして字を書いて、ひとり楽しむことに余念がありませんでした。
 お絹という女は、今日はいないのです。
 この頃中、あの女はほとんど家を外にして楽しんでいるのだから、それはもうなれっこ[#「なれっこ」に傍点]になって、特に気がかりにもならないのでしょう。それに、世話の焼きだてをした日には際限ないものと、ほぼ見切りをつけているのでしょう。
 それでも、時あってか、あの女のことに就いて何か甚《はなは》だしく癇《かん》に障《さわ》って、むらむらと不快の気分に襲われることもあるにはあるが、面を合わせてみると大抵まるめられてしまって、お絹に対してだけは、いまだ暴行に及んだというためしを聞かないのです。
 お絹という女は、先代の神尾の愛妾でありました。今の神尾なんぞは、事実、子供扱いにして来たのですから、苦もなくまるめてしまうのでしょう。また主膳の方でも、まるめられるのを知りながら、それなりで納まってしまうのは、あながち役者がちがうせいではないのです。
 主膳としては今朝はそんなことの一切を忘れて、書道を楽しむことができていると、庭に、がやがやと子供の声です。
 子供を愛するということも、このごろは主膳の閑居のうちの一つの仕事でありましたけれども、これは書道を楽しむほど純なものではなく、子供を愛するというより
前へ 次へ
全217ページ中59ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング