、北原賢次も笑っていいのか、ひやかしていいのかわからない気持になって、
「御心配なさるな、弁信さん、誰もお前さんに行ってもらおうとは言わない、お雪ちゃんだって、その姿で弁信さんが来てくれなかったといって恨むようなこともないでしょう――お望み通り三日の間、ここでゆっくり休息なさい、休息しないといったって、我々の方でお前さんを休息させないでは置かれないでしょう」
「そうおっしゃっていただくのが何よりでございます、お雪ちゃんにもよろしくお伝え下さいませ、そうして、もしあの子がここへ戻って来ると言いましたら、お連れ申せるものならば一緒にお連れ下さいませ、また、あの子に戻ることのできない事情がございましたなら、あの子のためにしかるべく取計らってやっていただきたいものでございます。弁信さんはどうしたとお雪ちゃんが尋ねました時には、弁信は白骨に助けられて来ているが、意地にも我慢にも疲れが出て、休みたがっているから置いて来たと、そうお伝え下さいませ。ここまで来ながらどうして一緒に来なかった、一緒にお連れ下さらなかったとお雪ちゃんは怨《うら》むかも知れませんが、怨まれても仕方がございませんが、私に会うためにお雪ちゃんが、これへ戻って来ることはよろしくありません――私の方から尋ねて行くまでお待ちなさるように、お申し伝え下さいませ」
「万事承知承知」
「では、その方はそれと一決して、あらためて日課の輪講に移りましょう、当番は……」
「堤君ではないか」
「時に……久助さんもお疲れでしょう、いつもの部屋でお休み下さい、それと品右衛門爺さんも、我々の輪講がはじまりますからお休みなさい」
 弁信のことは、行けとも行くなとも誰も言いませんでした。

         三

 良斎先生の「万葉」、柳水宗匠の「七部集」宗舟画伯の「四条派に就て」というような輪講が一通り終って後の炉辺の余談が、ついに弁信法師の上に落ちて来ました。
「どうです、あの弁信なるものは」
「驚き入ったものですね、あれはまた何という喋《しゃべ》り方です」
「ああなると、手のつけようも、足のつけようもありませんね、さすがの北原君でも交《まぜ》っ返す隙が無いじゃありませんか」
「喋らしたら、しまいまで聞いていなけりゃなりません、そうかといって、喋らせないように警戒しているわけにもいかないし、聞いていても、そう耳ざわりになるわけではない
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