が……」
「かなわない、何しろ大寒小寒《おおさむこさむ》の時は、山から小僧が飛んで来ることになっているのが、反対に里から小僧が飛んで来たのだから、まさに天変地異だね」
「雪の白骨へ今冬は、かなり変った客人が見えないではないが、あんなのは絶品だね」
「絶品だ、全くよく喋るにも驚かされるが、勘のいいのにも度胆を抜かれるよ」
「久助君が来たのを、その足音もしないうちから感づいているのだから、我々なんぞはもう腋《わき》の下の毛穴まで数えられているかも知れない」
「なんだか少し怖いね」
事実、さしものいかもの[#「いかもの」に傍点]揃いであるらしいこの座の一行も、弁信のことを考えますと、おぞけを振うらしい。
そうかといって、魑魅魍魎《ちみもうりょう》でないことの証拠には、お喋りこそするけれども、このお喋りには条理、いや、時とすると条理以上の何物かがあるように聞える――そこで、おぞけを振いながら、妖怪変化の類《たぐい》なりと断ずるわけにはゆかないのです。
そこで、一座が弁信なるものの、正体に全く無気味なもてあましを感じ出した時、中口佐吉が言いました、
「なあに、それほど驚くこともないですね、どうかすると、盲人にはあんなふうに勘の働くものがあるものですよ。仕立師の名人でね、晩年に失明しましたが、どこへ出るにも不自由のくせに、物差《ものさし》を取らせると、分厘までも違《たが》わずピタリと差す老人を拙者は知っていますがね」
「そう言われてみると、思い当ったことがあります、西鶴の中にありますよ、皆さんお読みですか、井原西鶴の書いた『諸国咄《しょこくばなし》』という本の中に、不思議の盲人のことが書いてあるのを思い出しました」
「どんな話ですか」
「ちょうど、よい機会ですから、お話し申しましょう」
と言ったのは俳諧師の柳水宗匠です。
「京の伏見の豊後橋《ぶんごばし》の片蔭に笹垣を結び、心を行く水の如くにして世を暮しぬる一人の盲人ありけりと思召《おぼしめ》せ……」
「なるほど」
「ある時、問屋町の北国屋の二階座敷で、二十三夜の晩……客の所望によって一節切《ひとよぎり》の『吉野山』を吹いていますとね、お茶の通いをする小坊主が箱階子《はこばしご》をトントンと上って来る足音を聞いて、ああ油をこぼすよと言う途端、立てかけて置いた板戸がたおれて、小坊主は怪我をした上に、手に持っていた油差の油をこ
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