」
お松は与八の言うことに眼を円くしてしまいました。それは、一にも、二にも、十にも、百にも、今まで自分というものの提言に反《そむ》いたことのない与八が、今、自分の口からこういうことを言い出した以上は、到底、翻すことができるものでないということを、直覚してしまったからです。
それは、頑固《がんこ》で、片意地で言い出したのと違い、この人が、この際、こんなことを言いだしたのは、もうよくよくの深い信心か、決心から、多年に※[#「酉+慍のつくり」、第3水準1−92−88]醸《うんじょう》されていたのだから、容易なものではないと、お松がそれに圧倒されたから、ほとんどあとを言い出すことすらできなくなってしまったのです。
けれども、お松としては、この際、どうしても、与八のこの決心を翻えさせねばならない、と思いました。
与八ひとりだけを残して、自分たちがすべてこの生活を移すということは、情に於ても、理に於ても、忍べないことだと思いました。そこで、暫く途方に暮れていたお松が、別の方面から与八を説きつけにかかりました。
「そんなことを言ったって、与八さん、そりゃ無理なことですよ、どうして、ひとりで日本中が廻れますか、第一食べても行かなけりゃならず、路用も少ないことじゃないでしょうし……」
実際の生活と、経費の問題からさとらせてゆこうとしたが、与八は更に動ずるの色なく、
「ええ、そのことは心配ねえんです、わしらは、この一本の鉈《なた》を持って行きますよ」
七十三
与八は郁太郎にかけていた片手を離して、帯に吊《つる》してあった一梃《いっちょう》の鉈にさわってお松に見せ、
「わしは、東妙和尚さんから、この鉈を使うことを教えられている、これが一梃あれば、どうやら、物の形が人様に見せられるようになったから、これを持って、彫物《ほりもの》をしながら、日本中を歩いてみてえつもりだ」
「まあ……では、永い間の心がけね」
「ああ、東妙和尚さんもそう言わっしゃった、与八、それだけ腕が出来たら、もう田舎廻《いなかまわ》りの彫物師の西行をしても食っていけるぞい、と言われました時から思い立ちました、行くさきざき、何か彫らしてもらっては、草鞋銭《わらじせん》を下さるところからはいただき、下さらねえ時は、水を飲んで旅をしてみようと、心がけていたですよ、お松さん。そうして、まずこれから上へ登って、大菩薩を越えて、塩山へ行くと恵林寺というので慢心和尚さんが、わしを待ってて下さる、あそこで何か彫らしておくんなさるに違えねえ……それから甲州路を西行をして、信濃から美濃、飛騨、加賀の国なんというところには、山々や谷々に霊場がうんとござるという話だから、そこへいちいち御参詣をしてみるつもりで、絵図面も、もう東妙和尚さんから描いてもらっている」
「与八さん――お前さんにそんなことを言われると、わたしは胸がいっぱいになって、何と言っていいかわからない」
お松が咽泣《むせびな》きをしてしまいました。
「なあ、会うは別れのはじめ、別れは会うことのはじめなんだから、歎くことはねえだあね。お松さんが、東の方へ行って船に乗り、わしが西の方へ行って霊場巡りをしたからといって、会える時節になれば、またいつでも会えまさあね」
「だって、与八さん……そんなに物事は、容易《たやす》く諦《あきら》められるものではありません」
「わしは不人情のようかも知れねえが、この間中から、それを考えていたね、どうもお松さんに相談したって、承知しちゃくれめえと思うから、黙って、ひとりでブラリと出かけてしまおうかと思ったこともあるだがね、そうすると、登様は、お松さんや乳母《ばあや》がついているから少しも心配はねえが、この郁坊、郁太郎さんがかわいそうだと思ってね……それだって、なにもわしがいなくても、やっぱりお松さんや乳母《ばあや》が、登様同様に可愛がって下さるから、少しも心配はねえと思っていたが、でも、今日まで、そこまでの踏《ふ》んぎりはつかなくっていたのを、今晩、お松さんから、こんな相談を受けてみると、わしがこのごろの心願も、言わずにゃいられなくなったのさ」
「だけども、与八さん、まあよく考えて下さい、今日までのことを考えて下さいよ、そうして、これからのことと思い合わせてみて下さいな。与八さんとわたしとは、こうしてずいぶん苦労もし合って、これまでになっているでしょう、それを私たちだけが東へ行って、与八さんだけを西へやっていられるものか、いられないものか。第一与八さん、お前さんだってあてどのない一人旅が、どんなに辛《つら》いものだか、今、この場のこととしないで、考えてみてごらん」
「そりゃあね、そりゃあ、わしだって人情というものがあらあね、今まで世話になったお松さんに離れたり、こんな頑是《がんせ》のねえ子供や、なじみになった皆さんに別れたり、それがどんなに辛いかを思い出すと、あれを思い立ってから、毎晩、涙が流れて枕が濡れちまったが――なんでも罪ほろぼしのためには、辛い思いをしなけりゃならねえ、お釈迦様は王宮をひとりで逃げ出してしまった、西行法師は妻子を蹴飛ばして出かけた、人情を一ぺん通りたち切ってみなけりゃ、仏の恩がわからねえ……こんなことをお説教で聞かされたもんだから、わしゃどうしても一度、罪ほろぼしのために、廻国の難儀をしてみなけりゃ済まされねえ……こう覚悟をきめてしまっていただね」
お松はたまり兼ねて、その時言いました、
「与八さん、お前は、何をそれほどまでにして、罪ほろぼしをしなけりゃならないほどの罪をつくったの?」
七十四
お松が力を尽し、言葉を極めての説得も、ついに与八の志を翻すことができませんでした。
それでも、お松の方もまた、与八ひとりのために、この幸福と、必然とを取逃がすわけにはゆかない人間以上の引力を、如何《いかん》ともすることができません。
そこで、おたがいに泣きの涙で、おたがいの導かるる方、志す方に向わねばならない羽目となったのは、予想外中の予想外で、そうして、なにもそれをしなければ、直接の生命に関するというわけではないにかかわらず、そうさせられて行く力の前に、二人が如何とも争うことができなかったのです。
翌日から、泣き泣きすべての出発の用意と、あとを整理することとに、働きづめであります。
あとを濁さないように――というお松の日頃の心がけは、この際に最もよく現われ、いつも蔭日向《かげひなた》のない与八の心情もまた、こういう際によくうつります。
持ち行くべきものは持ち行くように、あとに残して、蔵《しま》うべきものは蔵うようにしているうち、お松が一つの葛籠《つづら》の中から、一包みの品を見出して、与八に渡しました。
[#ここから1字下げ]
「与八かたみのこと」
[#ここで字下げ終わり]
と紙包のおもてに記してある。しかもそれは、先代弾正の筆に紛れもない。与八も奇異なる思いをしながら、それをほどいて見ると、守り袋が一つと、涎掛《よだれかけ》が一枚ありました。その守り袋を開いて見ると臍《へそ》の緒《お》です。紙包の表に書いてある文字を、お松が早くも読んでみると、
「与八さん――これは、お前さんの臍の緒ですよ。まあ、ここに生年月が書いてある、生年月ではない、何月何日、武蔵野新町街道捨児の事……与八さん、この涎掛がその時、お前さんがしていたものなのよ。御先代様が、こうして丹念に取ってお置きになったのを、お前さんに見せる折の無いうちに、お亡くなりになったものと見えます。今日になって、これが出て来たのも、本当に因縁《いんねん》じゃありませんか」
「ああ、そうだったか――」
与八は、染色のあせた涎掛を、お松の手から受取って、両手で持ったまま、オロオロと泣き出しました。
それから三日目、村人や教え子が寄り集まって、留別と送別とを兼ねたお日待でしたが、いずれも事の急に驚いて、泣いていいか、笑っていいか分らない有様です。
「末代までも、この地にいておもらい申すべえと思ったに、こうして急にお立ちなさるのは、夢え見ているようでなんねえ」
と言って泣く者が多いのです。こんな時に、お松はかえって涙を隠す女でした。そうして、一層の雄々しさを見せて、人を励ますことのできる女でした。
「皆さん、会うは別れのはじめ、別れは会うことのはじめですから、どこの土地へ行きましょうとも、また御縁があれば、いつでも会われます、一旦はこうして立っても、またおたがいに、いつでも手を取り合って楽しめる時が来るに違いありません」
与八から言われたことをうけうりのようにして、お松が一生懸命に人々の心を励ましました。
その翌日は、もう、運ぶだけのものを馬に積んで、乳母《ばあや》と子供は駕籠《かご》に乗せ、お松はあるところまで馬で――七兵衛は途中のいずれかで待合わせるということにして、幾多の村人や、教え子に送られて、この地の土になるのかと思われていたお松は、綺麗《きれい》にこの地を立ってしまいました。
与八も、送ると言って、江戸街道まで姿を見せたには見せたけれども、自分が昔捨てられたという新町街道のあたりへ来た時分には、もう与八の姿は見えませんでしたが、お松は声をあげて、与八の名を呼ぶ勇気がありません。あの捨子地蔵のあたりへ来ると、面《かお》を伏せて声をのみました。
こうして、お松とすべてを立たせてしまったその夜――沢井の机の家の道場の真中に坐って、涎掛《よだれかけ》を自分の首にかけて、ひとりで泣いている与八の姿を見ました。
七十五
二里三里と、飽かずに送って来てくれる見送りの者を、しいて断わって帰してしまった時分に、どこからともなく旅姿の七兵衛が現われて来ました。
ここにまた不思議なことの一つは、いつも七兵衛の苦手であったムク犬が、最初から神妙に一行について来たが、今ここで不意に七兵衛が姿を現わしても、吠《ほ》えかかることをしませんでした。
温容に七兵衛の面《おもて》を笠の下から見ただけで、その後は眠るが如くおとなしくなっていることです。このことは、ほかの人にとっては、気のつかないことでしたが、七兵衛にとっては一時《いっとき》、力抜けのするほど案外のことでありました。
ムク犬が吠えない代りに、ちょうどこの前後に、駕籠の中の郁太郎が不安の叫びを立てたものです。
「与八さん、与八さん、与八さんはいないのかい、与八さん」
いまさら思い出したように、与八の名を呼びかけ、数え年四つになった郁太郎が、突き出されたように駕籠の外へ出てしまいました。そうして前後の人を見渡したけれども、ついに自分の叫びかけている人の姿が、どこにも見えないことを知ると、
「与八さん、与八さん」
覚束《おぼつか》ない足どりで、西に向って――つまり、自分たちが立ち出て来た方へ向って走りはじめます。
「郁太郎様、どこへいらっしゃる」
登を抱いていた乳母《ばあや》がかけつけました。それを振りもぎって走る郁太郎。馬上にいたお松も、馬から下りないわけにはゆきませんでした。
「郁太郎様――与八さんはあとから来ますよ」
「あとからではいけない」
お松のなだめてとめるのさえも、肯《き》かないこの時の郁太郎の挙動は、たしかに、平常と違っていることを認めます。
「与八さんは、あとから草鞋《わらじ》をどっさり、拵《こしら》えて持って来ますよ、だから、わたしたちは一足先へ出かけているのです」
「いや、いや、与八さんと一緒でなくては行かない」
「そんな、やんちゃを言うものではありません」
「いや、いや、与八さんと一緒でなくては……」
この時の郁太郎は、激流を抜手を切って溯《さかのぼ》るような勢いで、誰がなんと言ってもかまわず、その遮《さえぎ》る手を振り払って、西へ向って、もと来た方へ一人で馳《は》せ戻ろうと、あがいているのです。
お松でさえも、手に負えないでいるところを見兼ねた七兵衛が、
「与八さんは、あとから来るから、みんなで一足先へ行っているのだよ」
と言って、あがく郁太郎を、上からグ
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