が、仮りの二夜の宿となった屋形船のもや[#「もや」に傍点]っていたところ。なるほど、船もあの通り見えている。
 筆を半ばにして、お雪ちゃんはその活きた地図に線を引いていたが、昨日までもや[#「もや」に傍点]っていた屋形船のところに至って、はっ! と胸が早鐘をつくように鳴り出したのは、それと多くも隔たらないところの、川原の中の蘆葦茅草《ろいぼうそう》の中から、今しも盛んに火が燃え出したところです。
 またしても火事! と災難の再来に狼狽《ろうばい》したのではありません。その火と、火事の火とはおのずから性質の違うこともわかっているし、またあんなに、川原の中で火事を起すはずもなし、起したからとて、前回のような危険をもたらすおそれはないが、その火の手の揚った地点から、今まで忘れるともなく、忘れていたような浅ましい光景が、むらむらと、あの火の煙よりも濃く、お雪ちゃんの頭に湧き上ったからです。
 あんな怖ろしいこと――あれが、ほんの少しの間だが、今まで忘れられていたようなのが不思議なくらいです。あれをあれっきりで納めて見向きもすまい、思い出しもすまいとの全努力が、ようやくお雪ちゃんを、ここまでにしていたのが、あの燃え出した火と、それから煙が、お雪ちゃんの頭を、つむじ[#「つむじ」に傍点]のように旋回させてしまいました。
 ああ、ああして石を置いて、せめて、犬や狼の凌辱《りょうじょく》から救って置きたい――イヤなおばさんの最後の肉体に対しての、自分の為し得た好意と親切の全力が、あれだけのものであった、あれより以上には、何をしてあげる力も無かったのだ。混乱の頭と、おのずから血走るような眼で、それを見詰めていたお雪ちゃんは、結局、あの地点はあそこに相違ない、そうして今、火をあんなに盛んに燃やしはじめたのは、わかりきっている、ほかへ運ぶことをしないで、あのままで薪《たきぎ》を積んで、イヤなおばさんの死体を焼きはじめたのだ。
 ごらん! 人が集まって来ている、薪をたくさんに運んで足している、イヤなおばさんはああして焼かれている。白骨で、長いこと水の中へ漬けられていたイヤなおばさんの死体は、今は思う存分の薪を加えられて、焼かれている。
 せめて、今度こそは、思いきり焼かれてしまって下さい、おばさん。
 水にも、火にも、業《ごう》の尽きなかったおばさんの魂魄《こんぱく》、今度こそは、あの鳥辺野《とりべの》の煙できれいな灰となってしまって下さい。
 南無阿弥陀仏――とお雪ちゃんは合掌して、念仏を申しました。

         四十八

 宿が、特別の注意をもって周旋してくれたこの寺の書院住居は、かなり広い。
 それから、ともかくも北原さんへの手紙を書いてしまい、久助さんを使に出してしまってみると、なおさら広い。
 この広い座敷へ、今宵は相当に夜具もあてがわれて、竜之助とお雪ちゃんは別々に寝ました。
 今夜はどんな夢を見せられるか知れないが、お雪ちゃんはやっぱり、気苦労と疲れがあるものですから、夜半近くにぐっすりと眠りに落ちました。
 お雪ちゃんが、もう正体もなく眠りに落ちたと見た時分――それはどちらからいっても丑三頃《うしみつごろ》でしょう、竜之助が静かに起き上りました。
 そうして燈下で何か動いているかと見れば、それは頭巾《ずきん》をかぶっているのであって、頭巾をかぶるまでには、もう、常の身仕度はすっかり出来ていたのです。そうして刀をさしながら、お雪ちゃんの夜具の裾を通って、襖を細目にあけたとしても、それは、あの油断のない米友をさえ出し抜いたことのある足どりですから、お雪ちゃんが気のつきようはずはありますまい。
 こうして竜之助は裏庭から、まもなく塀の外へ出ました。
 竹の杖を一本ついて、そうして徐《おもむ》ろに、山を下って、高山の町の方へ出て行く物腰は、曾《かつ》て甲府の躑躅《つつじ》ヶ崎《さき》の古屋敷を出た時の姿と少しも変りません。
 坂道を下りつくし、町の巷《ちまた》に出て小路《こうじ》の中に姿を没したと見えたが、その後は、どこをどうして徘徊《さまよ》うているか消息が分らない。
 人間に自由を与えるべきものではないのです。自由は人間よりは豚に多く与えらるべきもので、一人の人間に自由を与えると、必ずその結果が他の人間の自由を迫害する結果となる。そのために、天が特に竜之助の如きから両眼の明を奪い、身体《からだ》の健康を殺《そ》いでいるのに、そうでもしなければ、仮りにも、こんな人間を、この人間の共存共栄であるべき社会には生かしておけないはずなのに、それでも、なお不安なところから、お雪ちゃんという保護者をつけ、名も白骨という人間離れの地へ追いやって置いたのにかかわらず、その白骨の地を一歩離れて、この高山の町へ送り出したのが、そもそも運の尽きです。
 飛騨の高山は、甲斐の甲府よりはいっそう山奥だとはいえ、一方より言えば、甲府よりはいっそう上方《かみがた》の都近いのです――来《きた》り遊ぶ人が、誰も飛騨の高山を※[#「けものへん+葛」、第3水準1−87−81]※[#「けものへん+僚のつくり、145−7]《かつりょう》の地というものはなく、これに「小京都」の名を与えて、温柔の気分を歌わぬものはありません。
 森春濤は曾《かつ》てこういって「竹枝」をうたいました――
[#ここから2字下げ]
楼々姉妹、去つて花を看《み》る
閙殺《だうさつ》す、紅裙《こうくん》六幅の霞
怪しまず、風姿の春さらに好きを
媚山明水小京華
暖は城墟《じやうきよ》に入つて春樹|香《かん》ばし
はしなく嗾《そそのか》し得たり少年の狂
遊塵一道、半ば空に漲《みなぎ》る
花は白し春風、桜の馬場
[#ここで字下げ終わり]
 飛騨の高山はこういう艶っぽいところであります。事実が、詩人の艶説だけのものがあるや否やは知らないが、少なくともこううたわるべき風趣情調を持っているところです。
 こういうところへ、今時、こういう人間を放ち出すのが、よいことでしょうか。ただ、時が春風駘蕩《しゅんぷうたいとう》の時ではないが、ところはたしかに桜の馬場。
 それと、この小都を震駭《しんがい》させた大火災のあとですから、人心は極度に緊縮されてはいるけれど、土地そのものが本来、そういった艶冶《えんや》の気分をそなえているものであれば、絆《きずな》を解かれて、ここへ放浪せしめられた遊魂はおどらざるを得ないでしょう。
 はしなくも、桜の馬場の前を、この夜中に躍《おど》って過ぐる馬があります。この馬は、近在の山郷から材木を積んで来た馬ではありません。また火事のために臨時駄賃取りをかせぐために近村から出て来たものでもありません。その花やかに装い飾っているところを見れば、天正年間に飛騨の国司、姉小路宰相中将が築いた松倉古城のあとの、松倉大悲閣へ参詣しての帰り道でしょう。その証拠には美々しく装い飾った馬の背に、素敵に大きな馬を描いた絵馬《えま》がのせてあります。

         四十九

 今まで勢いよくはずんで来たこの馬が、馬場の手前まで来ると、急にすくんでしまったのが不思議。
「どう、あゆばねえか」
 馬子は、手綱《たづな》をひっぱってみたが、馬は尻込みをするばかり……
「どう、あゆばねえかよ」
 二度《ふたたび》、引絞ってみたけれども、馬は両脚を揃えて進むことを躊躇《ちゅうちょ》している。
「どうした、うむ」
 馬子は手綱をたぐって、近く寄って馬の鼻づらと足許を見たけれども、特別の異状があるとも思われないから、
「これ、さ、早くあゆべよ、つい一口よばれちまったもんだから、手前《てめえ》にも夜道をさせて気の毒だった、明日は休ませっからあゆべよ」
 この馬子は、馬をいたわること厚く、威嚇を以て強行を強《し》いることをしないのは、しおらしいところがある。松倉大悲閣へ参詣のための馬だから、馬には荷物が無い、負担は至って軽いのに、足が重くなるとはどうしたものだ。
 急にひきつったか、怪我をしたか、馬子は案じて、もしやと、足蹠《あし》をしらべにかかってみました。沓《くつ》が外れて、釘でも踏みつけたか。
 こう思って馬子が、充分に馬場へ背を向けきって、馬の足もとを調べにかかったが危ない。病根は足にあるのではなく、最初からゆくての馬場の桜の大樹の蔭に、一個の人影があったから、馬は怖れをなして立ちすくんだまでのことです。馬の心を知らない人間は、原因をよそのところに見ないで、痛くもない馬の足をさぐりはじめたものですから、背中はがらあきにあききっている。
「どう、さあ、足を見せろ」
 足を見たが、これは最初から何も異状がない。
「さあ、歩《あゆ》べ」
 再び馬の前に立って、背を馬場に向けきった馬子は、馬に向ってはこう言うけれど、態度から見ると、「屈《こご》んでて悪けりゃ、こう立ったらいかがなもの、ここんところをすっぽりおやんなすっちゃ」と言わぬばかりの姿勢です。
 それを桜の木蔭から、一歩ずつ近よって見すましていた覆面が、申すまでもなく机竜之助であって、まだ刀の柄《つか》へも手をかけないで、木蔭からはなれて来たのだが、馬子が馬の腹へ廻って、馬の検査をはじめた時に、勝手が悪くなったとでも思ったのでしょう、ちょっと立ちつくしたが、ちょうど今、馬の鼻面に立って、背中を充分こちらへ向けきったと思われた時分に、はじめて手にしていた杖を地上に取落しました。
 この時です――両足を揃えて進むことを肯《がえん》じなかったその馬が、やにわに高く一声いなないて竿立ちになってしまったものですから、馬子が大あわてにあわてて、必死にその轡面《くつわづら》にブラ下がったものですから、今の姿勢がまた一変してしまいました。
「どう、ドウしたというだなあ、別に病気でも、怪我でもねえらしいに、わりゃ狂気したか」
 こう言って、馬子が必死にブラ下がったことによって、いったん竹の杖を地にまで落した覆面が、刀の柄に手をかける瞬間を遠慮してしまいました。
 食い下がられて、馬は二三度、轡面を強く左右に振ったが、そのまま速力をこめて前面への突進をはじめました。
「ああこん畜生、こん畜生、引っかけやがったな」
 無論、馬子は手綱に引きずられて、宙に振り廻されながら、綱に取りついて、走り行くのです。
 そのあとを茫然《ぼうぜん》として見送るかの如き竜之助。
 人を斬ろうとしたのか、馬を斬ろうとしたのか、馬と人ともろともに斬ろうとして、そのいずれをも斬りそこねたのか――蹄《ひづめ》の音はカツカツとして、やがて闇に消えてしまいました。

         五十

 けれども馬子の方では、どこまでも、馬が狂い出したと思っているでしょう。それがために、自分をこんなヒドイ目に逢わせやがる、こん畜生! と自分の馬を憎みながら、自分の馬に振り廻されて、馬場から町外《まちはず》れ、益田街道を南に、まっしぐらに走《は》せ行くことをとむることができません。
 どこの百姓か知れないが、おそらく、この馬子は、かなり人のいい方であっても、この馬の狂乱を理解することができないで、家へ帰ってから後、相当に馬を譴責《けんせき》することでしょう――もし、乱暴の主人でしたなら、危険の虞《おそ》れある荒《あば》れ馬として、売り飛ばすか、つぶしにすることか知れたものではない。
 つまり、馬に暴れられたのでなく、馬に救われたのだという理解があれば、人間は幸福だったのですが、馬の心は、人の心ではわからない、人の心は、馬の心ではわからないものがある。
 佐久間象山が、京都の三条通木屋町で、肥後の川上|彦斎《げんさい》ともう一人の刺客に襲われた時、象山は馬上で、彦斎は徒歩《かち》であったから、斬るには斬ったが、傷は至って浅かったから、象山はそのまま馬の腹を蹴って逃げ出したのを、ついていた馬丁《べっとう》が馬の心を知らない――単に馬が狂い出したものと見て、走りかかる馬のゆくてに、大手を拡げてたち塞がったものだから、馬が棒立ちになったのを、追いすがった刺客が、おどり上って、思う存分に象山を斬ってしまった。これこそ実に日本一
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