は曾て自分が実見したことのある山水のみならず、人がさまざまに語り聞かす物語を、自分が閉眼して、いちいち絵に描いてみることができるようになったもので、白馬ヶ岳や、槍ヶ岳や、加賀の白山や、越中の立山が、みんな実物以外の想像となって、竜之助の眼底にありありとうつってくるのです。そうしてまたお雪ちゃんの話しぶりというものが、その想像を助けるのに最もふさわしいものでありました。
 白骨の炉辺閑話でも、そこに集まる冬籠《ふゆごも》りの人たちの風采《ふうさい》を、お雪ちゃんの話によって、いちいち想像に描いてみては、それらの人と共に語るような思いもするのです。時として、イヤなおばさんだの、仏頂寺弥助の一行だのといったようなのが、苦々しい幻像を現わすこともあるが、概して、自ら描いて見る風景と、人物とは、特殊な甘美なものがあって、自己陶酔には充分なのです。
 その幻像から来る自己陶酔を楽しむことができるようになった竜之助は、性格的にどれほど恵まれたかは知れないが、時間的には、たしかに、退屈ということを忘るるの術《すべ》を授けられたようなものです。
 平湯から、こちらでは、その機会の少なかったのは、沈静から
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