で、竜之助とお雪ちゃんは一夜を明かしたのです。
夜が明けると、お雪ちゃんは竜之助に断わって、再び火事場へ出て行きました。
昨晩《ゆうべ》は、近寄れなかったが、今朝は、もう火も鎮《しず》まってみれば、行けないことはない。第一に久助さんの行方《ゆくえ》――それから自分たちの荷物の安否、それから宿屋の主人に向って善後策の交渉――そんなことを、いちいちこれから切盛りをしなくてはならないと、雄々しくも心を決めて、寝巻一着を恥かしいとも思わず――恥かしいと思っても、この際、どうすることもできないのですから、そのままで、焼跡の方へ出かけて行ってしまいました。
船の中に、ひとり残された竜之助は、肱《ひじ》を枕に横になると、天地の狭いことを感じません。
このごろでは、よいことに、夢ではなく眼をつぶって、息を調えて沈黙している間に、さまざまのうつつの物を見ることです。曾《かつ》て見たことのある山水や、人物が、うつつとなって、沈思閉眼の境に現われて来て、甘美なる幻像に喜ばさるるの癖がつきました。
これは、そうするつもりがなく、白骨の閑居のうちに、おのずから養われた佳癖ということができましょう。それ
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