洛陽ニ帰休ス――とあるのが笑わせる。何が恩赦だ、何が大神君を拝するのだ、家康には、永徳や、山楽は柄にない、家康という男は、惺窩《せいか》や、羅山を相手にしていればいい男なのだ。白眼に家康を見て帰った晩年の山楽が、池田新太郎少将のこしらえた京都妙心寺の塔頭《たっちゅう》天球院のために、精力を傾注しているのは面白いじゃないか。京都へおいでたら、智積院《ちしゃくいん》、大安寺、その他の永徳を見て、天球院の山楽を見ることを忘れてはなりませんよ――拙者が、これから行って見ようとする松島の観瀾亭というのは、伊達政宗が、桃山城のうちの一廓を、そのまま秀吉から貰いうけて建設したのだということで、その一棟全体が絵になっているそうだ。そのいずれにも落款は無いが、山楽ということに専《もっぱ》ら伝えられている。山楽でなければ永徳――永徳でなければ山楽――よりほかへは持って行き場がなかろうけれど、遊於舎《ゆうおしゃ》の主人なども一見して、自分は永徳と信じたい――と語った。関東には永徳なんぞは無いものと信じていた拙者が、偶然、東北の一隅にその声を聞いてはじっとしていられない。一人の画工のために、一枚の絵のために、
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