のに、そのいい心持が手伝ったのですから、
「君、いったい、君は年は幾つだね」
と、湖海侠徒雲井竜雄の方に膝を押向けたのから、そもそも、喧嘩白雲の地金がころがり出したのです。
「弘化元年三月二十五日、辰の刻に生れたよ」
 こう答えられてしまったので、白雲が暫く二の句がつげなくなってしまいました。
 弘化元年三月二十五日辰の刻生れまで言われてしまったのでは、戸籍役人としても、このうえ難癖《なんくせ》のつけようがないではないか。田山白雲がちょっと手がかりを失って、力負けの形となって、二の矢がつげないでいたが、そこで引込む白雲ではなく、盛り返してからみついたのは、
「生れ故郷は、出羽の米沢だとおっしゃいましたね」
「左様左様、出羽の米沢の吾妻山《あずまやま》の下で生れたのだ」
 出羽の米沢だけなら無事だったが、吾妻山と言ったので因縁がついたらしい。

         二十

「出羽の米沢――謙信公の上杉家は知っているが、吾妻山なんて山は知らない」
 白雲がこんなところに因縁をつけてからみついたが、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]は取合わない。酒によって悪いところが嵩《こう》じてきた白雲は
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