較級に親しみが深いからでしょう。海を見ても泣けない時に、かえって山を見て泣かねばならぬことがあります。
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頭《こうべ》をあげて山川《さんせん》を見
頭を低《た》れて故郷を思う
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 このたびの旅行に於て、海は白雲のために友であり、師であって、絶えずこれと共に歌い、これに励まされ来《きた》ったようですが、山がかえってこの男を、人間の悲哀に向って誘い込むらしい。
 磐城の連山の雲霧の彼方《かなた》に、安達ヶ原がある、陸奥《みちのく》のしのぶもじずりがある、白河の関がある、北海の波に近く念珠《ねず》ヶ関《せき》もなければならぬ。
 それを西北に廻れば、当然、那須、塩原、二荒《ふたら》の山々でなければならぬ。そうして、やがて上州の山河……
「遠くも来つるものかな」と感傷のため息をついたのは、白雲もまだ人間並みに故郷というものを思い出でたからでしょう。おれにも、これで妻子というものがあったのだ、その妻子にも、幾年月の苦労をさせたものだな、という人間感が、犇《ひし》と胸に迫ったから、それが、白雲の面《かお》に、見るに忍びぬ、一脈の傷心の現われを隠すことが
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