はじめて、茂太郎が呆然《ぼうぜん》として自失してしまいます――今宵もまた、海に妨げられて、月に至ることを得ずして浜辺を帰る清澄の茂太郎は、
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遼東九月、蘆葉《ろえふ》断つ
遼東の小児、蘆管を採る
可憐《あはれむべし》新管、清にして且つ悲なること
一曲、風翻りて海頭に満つ
海樹|簫索《せうさく》、天|霜《しも》を降らす
管声|寥亮《れうりやう》、月|蒼々《さうさう》
白狼河北、秋恨《しうこん》に堪へ
玄兎城南、皆《みな》断腸――
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 この詩を、高らかに吟じはじめました。
 これは出鱈目《でたらめ》でもなく、即興の反芻《はんすう》でもなく、岑参《しんしん》の詩を、淡窓《たんそう》の調べもて、正格に吟じ出でたものであります。そうして、この詩句と吟調とが、田山白雲によって、茂太郎に教えられているというよりは、白雲が興に乗じて吟じ出でたのを、茂太郎が、その音楽的天才の脳盤の中に、早くも取込んでしまったそのレコードが、偶然、このところに於て、廻転し出したと見ればよいのです。
 ですから、この詩と、吟とには、批点の打ちようがありません。もし間違っていると
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