る力があるものでございますから……と申しますのは、かねて、わたくしの知合いの一人のお友達がございまして、その方が、わたくしに向って、絶えず呼びかけておいでになります、弁信さん、一刻も早くこの白骨谷へ来て下さい――と言って、絶えず呼びかけて下さるその力が、わたくしをとうとうここまで引き寄せてしまいました」
百
「その力に引き寄せられて、わたくしは、知らず識《し》らずこの山の中に分け入りまして、ついに大野ヶ原の雪に立迷うてしまったという次第でございます。それは、向う見ずとお叱りを受けるかも知れませんが、いずれ、旅という旅で、向う見ずの旅でないものが一つとしてございましょうか。人間の一生そのものを旅といたしますると、出ずる息は入る息を待たぬ、とか申します、今日のことがあって、明日のことを誰が知りましょう。なあに、あなた、わたくしの心得違いは心得ちがいに相違ございませんけれども、玄奘三蔵渡天《げんじょうさんぞうとてん》の苦しみに比ぶれば、これは日本国のうちの、僅かに信濃の国のこと――」
この辺に来ると一座が、ようやくこのお喋《しゃべ》り坊主が、容易ならぬお喋り坊主である
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