ました。あとで承ると、ここは乗鞍岳の麓で、鐙小屋《あぶみごや》という小屋の中でございました。わたくしに温かい心と、温かいお粥を下されたのは、この鐙小屋の中で行をしておいでになる神主さんだと承りました。猟師さんと言い、神主さんと言い、まことに親切極まるお方でございましたけれど、わたくしは、このお二方に向っても、強《し》いて再生の恩を謝するというようなことを申しませんでした。申しませんでも、おわかりになることでございますが、わたくしといたしましては、今更それを繰返す心にはなれないのが不思議でございます。口幅ったい申し分ではございますけれども、生死《いきしに》ということは、旅路の一夜泊りのようなものでございますから、生きていることが必ずしも歓喜ではなく、死にゆくことが必ずしも絶望なのではございません。いつも申し上げることですが、いかに生きようとしてもがいても、生き得られない時には生きられません、いかに死のうとして焦《あせ》っても、死を与えられる時までは、人間というものは決して死ねるものではございません。わたくしは、このごろになって、ようやくこの悟りがわかりました。その事の最初は、皆様のうちに
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