で立ちすくみになったが、兵馬としては、驚いて狼狽《ろうばい》するのみではいられません、直ちにこの怪しい奴を引捕えてみなければならぬ必要に迫られました。そこで、
「待て!」
と、自分も宙を飛んで、それに追い縋《すが》ったものです。
「お赦《ゆる》し下さい、怪しいものではござりませんで」
「怪しいものでなければ、なぜ逃げる」
「意気地の無い人間でございますから逃げやんした、おゆるし」
「赦すも赦さんもない、お前が怪しいものでさえなければ、逃げる必要もないのだ、こちらも、お前が逃げさえせねば捕えはせぬのだ」
兵馬は瞬く間に追いついて、この怪しいものを膝の下にねじ伏せて動かすまいとしたが、同時に気のついたのは、こいつがグショ濡れであることです。
「おゆるし下さい」
「いったい、お前は何者だ」
「私は屑屋でございます」
「屑屋?」
「はい、紙屑買いでございます」
「紙屑買い――商売とはいえ、時刻が早過ぎる、それにお前の身体《からだ》はぐしょ濡れだな」
「ちょっと、早出する用事がございまして、これへ通りかかりますると、あなた様方が、ここにお見えでございましたから、避《よ》けようとして溝《どぶ》へ
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