掻込んでいる中老人の面を、しげしげと見やりました。
 それは、このごろ、ここへお客に来た、武州の田舎《いなか》の七兵衛というお爺さんだからです。
 そのお客さんだから、特に解せないというわけではない。お客さんに来ても、帰らない以上は、ここに泊っているのはあたりまえだし、泊っている以上は、お茶漬を食べることも不思議ではないが、茂太郎がどうしても不思議でたまらないので、しげしげと、この空《から》にした徳利を一本前へ飾りつけて、お茶漬を食べているお客様をながめたまま、引込みがつかないでいるのは、この人こそ、ついたった今、小舟の中で見た人だからです。
 マドロス君が櫓《ろ》を押して、このおじさんが舳《みよし》の方に坐って、そうして、こちらが呼べども知らん面に、造船所の方へ行ってしまったその舟の中で、たしかに見たこのおじさんがあのおじさんです。果して、このおじさんがあのおじさんであるとすれば、どこへあの舟をつけて、いつここまで来たのだろう。たとえば、あの時に、造船所の前へ舟を着けたとしても、それからこの番所までは相当の距離がある。走って来たとしても、相当息切れがしていなければならないのに、もう徳
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