兵馬は、それから小提灯をふところに入れ、戸締りをしておいて、さいぜんの曲者が乗越えた塀《へい》に近い潜り戸から、邸の外へ出てみる気になりました。
 かなりに広い、代官邸の塀の外を一廻りするだけでも、かなりの時間を要するが、内部のことは黒崎に任せて置けば心配なし、実は自分もこの機会に少し、外へ出てみたくなったのだ。
 高山へ来てからまだ、夜歩きということを兵馬はしていないのです。夜歩きが好きというわけではないが、深夜、街頭を歩くことには、京都以来、いろいろの興味を持っている。何かと得るところも甚《はなは》だ多いのです――第一、夜は静かで紛雑の気分を一掃する。それに思わぬ事件や、思わぬ人物に出会《でくわ》して、何かの意味でそれをあしらうことが、なかなか修行になるものだと心得ている。それにまた兵馬も若いから、おのずから血潮が、夜遊びということに誘導するといったようなせいもあろう。
 そこで兵馬は、今晩、ただ単に塀の外を通るのみではない、また、ただいま、取逃がした小盗をどこまでも追いつめるというのでもなく、今晩はひとつ、この機会に、少し高山の町、それとあの焼跡の辺までのしてみようではない
前へ 次へ
全323ページ中193ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング