しゅんぷうたいとう》の時ではないが、ところはたしかに桜の馬場。
 それと、この小都を震駭《しんがい》させた大火災のあとですから、人心は極度に緊縮されてはいるけれど、土地そのものが本来、そういった艶冶《えんや》の気分をそなえているものであれば、絆《きずな》を解かれて、ここへ放浪せしめられた遊魂はおどらざるを得ないでしょう。
 はしなくも、桜の馬場の前を、この夜中に躍《おど》って過ぐる馬があります。この馬は、近在の山郷から材木を積んで来た馬ではありません。また火事のために臨時駄賃取りをかせぐために近村から出て来たものでもありません。その花やかに装い飾っているところを見れば、天正年間に飛騨の国司、姉小路宰相中将が築いた松倉古城のあとの、松倉大悲閣へ参詣しての帰り道でしょう。その証拠には美々しく装い飾った馬の背に、素敵に大きな馬を描いた絵馬《えま》がのせてあります。

         四十九

 今まで勢いよくはずんで来たこの馬が、馬場の手前まで来ると、急にすくんでしまったのが不思議。
「どう、あゆばねえか」
 馬子は、手綱《たづな》をひっぱってみたが、馬は尻込みをするばかり……
「どう、あ
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