ス君を村民が焼き殺してしまおうという理由はほかにある。それは、マドロス君が毛唐であるからだ。
毛唐というものは、つまり日本の国を取りに来るものだ。それだから、当代、二本差している憂国の志士はみな毛唐を斬りたがる。毛唐を一人でも斬れば斬るほど幅が利《き》く、まして毛唐に向って、戦《いくさ》をしかければしかけるほど、その大名の威勢があがる。
相州の生麦《なまむぎ》というところで、薩摩の侍が毛唐を斬って、それから、薩州様と毛唐とが戦争をした。長州でも負けない気になって、下関で毛唐と戦《いくさ》をした。これらの大名連は、毛唐と戦をするだけの勇気があるが、将軍様にはそれが無い――と言って、多くの人たちが歯噛《はが》みをしている。
だから、毛唐は殺すべきものだ。毛唐を殺せば殺すほど、侍としては勇者であり、国としては名誉である。そこで、この浦辺の漁民たちまでが、その気になっているのか。それでも、あたしには、それがわからないのですね。
あたしがつきあっているマドロス君は、眼の色こそ変っている、言葉こそ違っているが、やっぱり日本人と同じことの人情を備えている。人情の長所も備えているし、短所も備え
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