に、この動物を、獰猛と、貪婪と、残忍の色にして見せたものでした。いかに、本来温良なる家畜動物も、飢えと放縦とに放し飼いをすれば、それは猛獣以上の猛悪を現わすことはあります。
 それと同じことに、いかに温和なる人間も、非常の時には、そうして、人間の権威を他動物に向って示さねばならぬ時は、別人と見えるほどの勇気を、どこからか持ち来《きた》すものと見えて、苟《いやし》くも人間の死体の神聖を冒涜《ぼうとく》せんとする不良性動物の僭越と、兇暴とに対し、かよわいお雪ちゃんが、その全力を挙げて擁護の任に当らなければならない覚悟と、力とを与えられたことは、案外のものでした。
 お雪ちゃんは、片腕にかかえていた薪《たきぎ》を振捨て、片手に持っていた杖に全力をこめて、僅かに棺の中へ首を突込んだ山犬に似た奴を思いきり打ちのめして、さすがに驚いてハネ返ったところを、手早く棺の蓋《ふた》を仕直して、しっかりと押え、そうして、早くもその手近にあった手頃の石――手頃の石といっても、ふだんのお雪ちゃんならば、ほとんど持ち上げることもむずかしかろうと思われるほどの大きさと、重さとあるのを両手にウンと持ちあげて、それを、
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