き》というものが無いのを例とする。
人が動いている時と、騒いでいる時は、人間がその最も弱点を暴露した時なんだが、人間はかえって、充実と沈黙を怖れないで、活動と躁狂、宣伝とカモフラージュとに恫喝《どうかつ》される。笑止!
お化けだってそうである、出て来た時はすでに、人間に未練という弱味があって来るのだから。ベルゼブルだってそうです、人間にとりつくのは、自分の腹がすいているからなのである。若い男は若い女の情けに飢えているから夜遊びをする、若い女はまたそれを待構えて、その飢えに食《は》ませたり食んだりする――ついでに言っておくが、恋というものにかぎって、食えば食うほど飢えを感ずるもので、恋の飽食ということは、結局、尻尾《しっぽ》だけを残して食い合う猫のようなものです。人はパンのみにて生くるものではない、恋も食い物である、愛も食い物である、イカサマも食い物であり、ペテンも食い物である。動物の中には、夢をさえ食い物にして生きているものがあるというではないか。
今、東経百三十七度十六分、北緯三十六度九分のところ、海抜五百六十三メートル八八のあたりを音無《おとなし》の怪物が動き出したということ
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