な天地を歩きませんでした。
 昔は、こうして、夜な夜な、外を歩いて、血を吸わないと生きていられない気持でしたが、白骨の湯壺が、しばらくの間、この毒竜を封じ込んでいたものでしょう。それが飛騨の高山へ来て、今晩という今晩、その封が切れたようです。
 黒い頭巾と、白い着物と、二本の刀が閂《かんぬき》にさされたのが、すっくすっくと川原を歩んで行き、そうして水溜りとか、蛇籠《じゃかご》とかいうようなものの障《さわ》りへ来ると、ちょっと足を踏み止めて思案の体《てい》に見えるが、まもなく、五体が魚鱗のように閃《ひらめ》いたかと見ると、いつのまにか、その障碍を越えて、あなたを、すっくすっくと歩んでいる。
 およそ物体が動き出したということは、生きていることの表現であって、同時に生きようとする努力であると見ればよろしい。
 生きようとする努力はすなわち、飢渇というものに余儀なくされていると見ればよろしい。人間にあってもそうです、人間が動き出した時はたいてい、飢えた時、そうでなければどこぞに空虚を感じた時のほかはないと見てもよろしい。
 そこで、満足した人はたいてい沈黙する、充実したところには痕跡《こんせ
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