きない、絵を見せて、そうして会得させるよりほかはないが、たとえば、京都の知積院《ちしゃくいん》の草花の屏風《びょうぶ》を見て見給え、あの萱《かや》の幹と、野菊の葉を見て見給え、飛雲閣の柳の幹と枝のいかに悠大にして自然なるかを見て見給え、西教寺の柿と柚《ゆず》の二大君子の面影《おもかげ》に接して、襟を正さないものがあるか、三宝院の鵜《う》は一つ一つが生きていますよ。いきていると言ったって君、いきているように巧く描けているという意味じゃありませんぜ。大覚寺の松は舞っている、大安寺の藤は遊んでいる、永納の証ある『鷹』は見ましたけれど、毛利家にあるという『唐獅子《からじし》』を見る機会を得ないのが残念です。われわれが、無位無官の田舎絵師としての伝手《つて》で、見られるだけは見たが、どこから見ても永徳に隙間《すきま》はありません、大にしてよく、細にしてよく、山水がよく、花鳥がよく、人物がよく、濃絵《だみえ》がよく、淡彩がよく、点がよく、劃がよい――ことにその線の勁健《けいけん》にして、和順なる味といったら、本当の精進料理を噛《か》みしめる味で、狩野家の嫡流として鍛えこんだ腕でなければ、あの線は出来ません――この大名人が、信長と、秀吉に、自分のカンバスを作らせて、思う存分の腕を揮って後、その秀吉よりも一足先にこの世を去った。四十八歳では短命の方ですが――自己の生命を不朽に残して、形態の英雄秀吉よりも一足お先へ行ってしまったところが、痛快ではないか」
二十五
主人も、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]も、話の内容の興味よりは、意気に乗じて語る白雲の、豪快な気焔に興を催している。
白雲は、この機会に、もう少し叩き込んで置かねばならぬと考えたのでしょう、こんなことを言いました、
「そういうように、信長や、秀吉が、いかに土木を起して金壁をなすりつけてみたところで永徳があって、それに眼睛《がんせい》を点じなければ、それは成金趣味だけのものだ。前に言う通り、秀吉や、家康や、氏郷や、元就《もとなり》でなければ、人物が無いと思っている者たちのために、もう少し永徳の後談《ごだん》を語らなければならない。永徳の時代、友松《ゆうしょう》のあったことも記憶すべきだが、その子に山楽《さんらく》の出でたことこそ忘れてはなりませんよ。子といっても山楽は本当の子ではない、養子であったのだ、しかもその養子の氷人《なこうど》が、やっぱり天下第一の秀吉の直接の口利きであっただけに、養子ではあったが、不肖の子ではなかった。永徳を知れば当然、山楽を知らなければならぬ、永徳の絵にも、山楽の絵にも、落款《らっかん》というものは極めて少ないから、いずれをいずれと、玄人《くろうと》でも判断のつきかねることがあるが、よく見れば必ず、永徳は永徳であり、山楽は山楽でなければならないはずのものだ――永徳は早死《はやじに》をしたが、山楽は長生《ながいき》をした、およそ長生すれば恥多しということを、沁々《しみじみ》と体験したもの山楽の如きはあるまい。山楽がちょうど四十歳前後の時に不世出の英雄であり、自分を絵に導いてくれた唯一の知己恩人である秀吉に死なれて、その豪華一朝に崩れて、関東に傾くの壮大なる悲劇を、まざまざと見せられた山楽、家康がしばしば招いたけれども行かない、ついにその不興を買い、身辺の危険をまでも感じて、やむなく家康にお目にかかりに罷《まか》り出でたことは出でたが、もとより家康は秀吉ではない、英雄ではあるけれども英雄の質が違う、例の『画史』に――恩赦ヲ蒙ツテ東照大神君ヲ駿城ニ拝シテ洛陽ニ帰休ス――とあるのが笑わせる。何が恩赦だ、何が大神君を拝するのだ、家康には、永徳や、山楽は柄にない、家康という男は、惺窩《せいか》や、羅山を相手にしていればいい男なのだ。白眼に家康を見て帰った晩年の山楽が、池田新太郎少将のこしらえた京都妙心寺の塔頭《たっちゅう》天球院のために、精力を傾注しているのは面白いじゃないか。京都へおいでたら、智積院《ちしゃくいん》、大安寺、その他の永徳を見て、天球院の山楽を見ることを忘れてはなりませんよ――拙者が、これから行って見ようとする松島の観瀾亭というのは、伊達政宗が、桃山城のうちの一廓を、そのまま秀吉から貰いうけて建設したのだということで、その一棟全体が絵になっているそうだ。そのいずれにも落款は無いが、山楽ということに専《もっぱ》ら伝えられている。山楽でなければ永徳――永徳でなければ山楽――よりほかへは持って行き場がなかろうけれど、遊於舎《ゆうおしゃ》の主人なども一見して、自分は永徳と信じたい――と語った。関東には永徳なんぞは無いものと信じていた拙者が、偶然、東北の一隅にその声を聞いてはじっとしていられない。一人の画工のために、一枚の絵のために、
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