真向から来る、そういったような子供じみた質問にも、充分に応接する用意を持たなければならぬ義務はある。今、それを君になるほどと頷《うなず》かせるだけの返答を与えてやるつもりだが、その以前に……君に聞いておきたい予備試験がある。それは極めてやさしいもので、日本人である以上は、今いう三尺の童子でも楽に及第のできる問題だ。つまり、それは、日本第一の英雄は誰だ、と尋ねれば、まず何はともあれ豊臣秀吉と答えるだろう」
「そりゃあ、議論をすれば際限がないが、そう聞かれて、左様に出て来るのは豊臣秀吉さ――秀吉が日本に於ける古今第一の英雄だということは、まあ、富士が第一の高山だというのと同じように、相場になっている」
「その通り。そこで、拙者は、もう少し深く突込んだ意味で、端的に、日本第一の画家を狩野永徳だと答えるのだ」
「先生、そりゃ……」
と口をはさんだのは小谷の主人でした。雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]の応答には、異議をさしはさまなかった主人も、白雲の断定には、服することのできないものがあるらしく、
「先生、そりゃ、ちょっと考えものじゃありませんか。太閤秀吉の日本第一の英雄ということは許せるにしても、古永徳が日本一の画人、古今独歩の人ということは、まだ独断じゃありますまいか。巨勢《こせ》の金岡《かなおか》もあります、光長も、信実《のぶざね》もあります、土佐もあります、雪舟《せっしゅう》、周文、三|阿弥《あみ》、それから狩野家にも古法眼《こほうげん》があります、その後に於ても探幽があり、応挙があり……」
「そりゃ、もとより異論もあるだろう、永徳の日本一は、秀吉の日本一のような相場にはなっていないが、拙者は狩野永徳が日本に於て最大の画家であり、古今独歩の名人であることを信じて疑いません――まあ、お聴きなさい、拙者だって、意地でそんなことを言うわけではありません、今日まで、拙者の見たところ、測ったところを論拠として、それを言うのです。地図の測量では、下総の佐原の伊能忠敬が名人ですが、拙者といえども、自分の職とする道に於ては、かなり忠実綿密なつもりです、人間はこの通りお粗末だけれども、せめて古人を見ることの謙遜と、忠実とだけでは、人後に落ちないようにと心がけてはいます。ですから、拙者は今日まで、いやしくも名画と聞き、名人と聞けば、できるだけの手数を尽して、その絵を見せてもらい、その人に親しく逢おうとしました。無論貧乏だから、買いたいと思うものも買えず、こうして乞食同様にしているから、見たいと願うものも見せてくれないものもあるが、その謙遜と、熱心とだけは、変りませんよ。陸前の松島まで永徳を見に行こうとするのも、必ずしも物好きと、酔興ばかりではありませんね――この骨のこわい頭を下げてはならぬ時と、下げねばならぬ時とは、これでも相当に心得ているつもりですよ」
二十三
白雲は傍若無人に語りつづけました、
「狩野永徳が日本一の画家です、古今独歩の名人です、本当に日本の絵というものを代表するのは、永徳のほかにありません。無いとは言えないが、あっても、それは部分的でなければ、条件つきです。ところが、永徳に限って、これが日本第一の、日本の美術の代表の画人だと、憚《はばか》りなく言うことができます」
「永徳のドノ点がエライのです、どういう理由が日本一になるのです」
「それを言うには……君たちを教育する意味に於ても、一通り日本の絵画史を頭に入れて置いてもらわなければならないが、そんなことをしている暇はないから、手っとり早く言えばですね、まず、ずっと上代では、絵画はすなわち仏画で、その仏画はみな神品といってよろしく、一とか二とか等級を附すべきものではないが、その神品たる仏画にしてからが、やっぱり支那というものの系統を、度外しては論ずることができないのです。その後大和絵というものが起りました。巨勢《こせ》とか、土佐とか、詫磨《たくま》とかいう日本の絵が出来ました。それは立派なものであるけれど、何をいうにも歴史が浅く、規模が足りません……そうしているうちに、東山時代といったようなものが来ました。いわゆる雪舟などは、まさにその完全なる代表者です、ただ、時代の代表だけではない、雪舟あたりこそ、日本一とか、古今独歩とかいうべき地位を与えても、異存のないところですが、幸か不幸か、雪舟の偉大なのは、これを宋元の大家と比較しての偉大であって、日本の画家としての代表には、偉大は余りあるとしても、特色が不足します。勿論《もちろん》、雪舟自身は支那へ渡っても、かの地に師とすべき者なし、ただ山水のみ師なりといって、空《むな》しく帰って来たくらいですから、その芸術に、国境や、系統を附すべきものではないが、その筆法の系統には、宋元の脈を引いて争うべからざるものがあるの
前へ
次へ
全81ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング