した。
「一枚の絵と言うても、君たちはまだ一枚の絵の味がわかるまい、一人の画工と言うけれども、一人の画工の持つエラサが、君等にはわからないのだから情けない」
と言って、白雲はまず、慷慨して、次の如く論じました、
「君たちに、あの時代の歴史を言わせれば、太閤ノ時ニ方《あた》リ、其ノ天下ニ布列スル者、概《おほむ》ネ希世ノ雄也、而シテ尽《ことごと》ク其ノ用ヲ為シテ敢ヘテ叛《そむ》カシメザルハ必ズ術有ラン、曰《いは》ク其意ニ中《あた》ル也、曰ク其意ノ外ニ出ヅル也――程度で尽きるだろう。同時に人物を論ずれば、家康、如水、氏郷、政宗、三成、清正、正則、それに毛利と、島津あたりのところで種切れになるだろう。そのほかはあってもよし、無くてもよし――君たちの粗雑な頭で見る歴史と人物は、おおよそ、その辺が止まりだ。そのほか日本の貿易界に誰それがあり、発明家、美術家に誰、思想家に誰、学者にこれというようなことは、ほとんど頭にござるまい。それは君たちが悪いのじゃあない、日本の歴史の教え方が悪いのだ。天下を取ったとか、取られたとか、相場師の出来そこないのような奴、コケ縅《おどし》の鎧《よろい》を着て軍《いくさ》をする奴でなければ、日本には英雄が無いように、子供の時分から教育がそう教えこんでいるようなものだ。そこで君たちはじめ、日本人のこしらえた歴史は、まるで材木だけで組み立ったガランドウみたようなものだ、骨組みだけはどうやら出来ているが、壁も無ければ障子もない、まして室内の装飾と、調度なんというものは全然頭に無いのだ、日本の国家というものは、材木だけで出来ているように教えられているから、歴史を語っても、人物を論じても、その辺で、おおよそ種子が尽きてしまう。人間の住む家として、骨組みばかりのガランドウが何になる、人間らしい家は、人間らしい内容を持たなけりゃならんのだ。時代は英雄豪傑に骨組みだけを作らせるかも知れないが、その内容整斉というものは、全く違った人々の手にあることを君たちは知らない。知らないのは、教育が知らないように仕組んでいるのであって、天が不公平に一方に多く与え、一方に多く惜しんでいるのではないのだ。いつの時代でも必ず、君たちの知っているいわゆる通俗の英雄豪傑のほかに、やはり英雄豪傑ではあるが、君等の知る通俗の英雄豪傑に優るとも劣ることなき偉材が存しているものだ、それがいわゆる通俗の英雄豪傑のした荒ごなしを補填《ほてん》して行って、人間の仕事に、不朽の光栄を残して行くようになっているのだ。幼稚な国の教育は、ただ前の英雄豪傑だけに箔《はく》をつけ、後の使命者の真価を教えない、だからもし日本人に向って、秀吉とは誰だと聞いたら、三尺の童子だって知っている、永徳と呼びかけてみて、日本人のうちでは、最も教養のある部に属する君たちが知らない、知らないことが恥にはならない、真実情けないことではないか」
白雲が痛快に罵倒《ばとう》するのを、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]は耳を傾けていて、
「そりゃ、君の言うことも一面の真理はある、なにも政治をしたり、軍《いくさ》をしたりする奴だけが英雄豪傑ではなかろうけれど、他の社会の仕事は、その道の人でなければわからない、わからないから、自然、人の口頭にも上らないのだ。それは必ず英雄豪傑が存在するに相違ない、不幸にして、その人たちは、全体を見渡せるだけの地点に立っていないから、全体にも見られないのだ」
「ところが美術というものは、誰にも見えるところに置かれ、誰にも見られるように出来ていながら、それを見る人が無いのだ、たとえば……」
二十二
たとえば……と言って白雲が膝を組み直した時に、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]が問いかけました、
「その通り、恥かしながら、我々も美術や絵画のことにかけては盲目なのだ、それは店頭にかけた絵草紙と、応挙の描いたもの――というような格段は別だが、大家の位附けになると、どれも同じように見えて、そのエラサ加減に甲乙をつけるだけの眼識は無い。それは一つは不幸にしてそういうことを学んでいる暇が無かったのだ。そこで、端的にここで、君について学びたいのは、日本一の画家――つまり、絵の方で古今独歩の名人というは、まず誰なのだね」
それを聞いて白雲は、心得たりというような見得で、雲井なにがし[#「なにがし」に傍点]の面《おもて》をながめ、
「素人《しろうと》は、そういうことを聞きたがる。子供が、義経と清正はどっちがキツイ、と言うような程度のものだ。日本一というものは、桃太郎の旗印のように、簡単明瞭にくっつけられるわけのものではないが、美術鑑識の入門としては、さもありそうな質問で、それを軽蔑するわけにはいかないのだ。また拙者もこれで、その道で衣食する職責上としても、素人の
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