慢の髷《まげ》つぶしに、その猫が取りつく。
「あいつ、あいつ……これはまた恐れ入りやした、悪い洒落《しゃれ》でございます。猫を背負うとてお背中をかっかじられやせぬものを……これこれ、わりゃ、身共がつむりを噛《か》んで何と致す」
金公は、頭へのせられた猫を取下ろそうとしたが、猫が髷に爪をからんで離れない。金助がいよいよ騒げば、猫がいよいようろたえる。その結果はさんざんに、髷と額をかっかじる。
「こりゃこれ、男の面体《めんてい》へ」
とかなんとか言ったが追附かない。
それを見て神尾は、面白がって笑う。
結局、金公は、自力ではこの猫を自分の頭から取外《とりはず》すことができないことになる。取外して外せないことはないが、強《し》いてそうすれば、自分の髷を全部犠牲にしなければならぬ、その上、この頭の部分に負傷する虞《おそ》れもあるから、今のところでなし得ることは、じっと動かないよう、猫を頭の上に載せたままで、両手をあげて抑えているだけのものです。
抑えられた猫は、その窮屈に堪えないで動こうとする。そのために、痛い思いを我慢する金公の面を見て、主膳が大声をあげて喜ぶ。
結局、金助は、この場にいたたまらず、猫を頭に載せたままで、下の座敷へ向って逃げ出し、誰ぞもう少し好意を持った相手の力を借りることよりほかに、最上の道はないことを知った。
そうして、金助を追払ってしまった後の神尾主膳は、脇息を横倒しにして、それを枕に天井に向って、太い息を吹きかけながら横になりました。
男色を弄《もてあそ》びに来たということが、愉快を買いに来たのではなく、男性というものの侮辱ついでに、もう一歩進んで侮辱を徹底させてやれ、というような残忍性が、主膳をこんなところに導いたものである。侮辱というけれども、この場合、主膳自身が侮辱されたわけではないが、侮辱されている男性の端くれを、日本橋で見たのが、男色を商《あきな》うやからに似ていると言われたついでに、男性が男性を侮辱するも一興だろう、とこんな謀叛心《むほんしん》で――ここへやって来たものだから、なにも特別に執着を感じてはいない。
横になって、そうしてやっぱりこの倦怠した、この不安、不快な気分をどうしようという気にもなれない。
結局、酒に限る――酒に落ちゆくよりほかののがれ[#「のがれ」に傍点]場はないというに帰する。
八十五
主膳が再び、うたた寝からさめ、
「金助――金助」
「はーい、殿様、お目覚めでござりますか」
「何だ、お前は」
「はい」
神尾主膳は、二度目のうたた寝から覚めた朦朧《もうろう》たる眼を据えて、いま、眼前にわだかまっている代物《しろもの》を見ると、圧倒的に驚かされないわけにはゆきません。
それは金助ではない、金公とは似ても似つかぬ一人の女、しかも、小山の揺ぎ出でたようなかっぷく[#「かっぷく」に傍点]の大女、銀杏返《いちょうがえ》しに髪を結って、縞縮緬《しまぢりめん》かなにかを着て、前掛をかけている。呆《あき》れ果てた主膳は、
「お前はここの女中か」
「はい」
「でかい女だなあ」
「はい」
「あのな、こちがさいぜん呼んだ金助というがいるだろう」
「金助さんは、ちょっと急の用事が出来ましたから、殿様のおよっている間ゆえ、御挨拶も申し上げず、ちょっと失礼いたしますから、殿様の御機嫌に障《さわ》らないように、よろしく申し上げてくれといってお出かけになりましたよ」
「うむ、金公が出て行ったのか、では、お前でもいい、酒を持て」
「お酒は、おやめあそばしませ」
「ナニ、酒を飲むな?」
と主膳は、大女の面《かお》をまじまじと見て、
「料理屋へ来て、酒を飲むなと言われたのは初めてだ」
「はい、殿様は酒乱の癖がおありになるから、お酒のお言いつけがあっても、なるべく差上げないようにと、おっかさんから言いつかっておりますえ」
「ふん、なるほど、貴様は正直者だ、言いつかった通りを、客の前で言ってしまうのは、正直者でもあり、新前《しんまい》でもあるな。いったい、いつ、どっちの方から、この店へ来た」
「はい――もとは両国にもおりましたが、近頃は田舎廻《いなかまわ》りをしておりました」
こう言われてみると、その昔、女軽業《おんなかるわざ》の一行のうちの人気者で、甲州一蓮寺の興行から行方不明になった、力持のおせいさんという者があったことを、知る人は知っている。
その時分には、神尾主膳も甲府にいた。主膳としても、あの女軽業を見物に行った覚えのあることは確かだが、その一座の中の看板に、現在眼の前にいる怪物が、客を呼んでいたかいなかったか、そんなことの記憶までは残ろうはずもない。この怪物の方でも、当時の見物の中に、あの時お微行《しのび》で通った彼地《かのち》のお歴々としてのこのお客様の
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