んだ、そんなに怖がるがものはねえよ」
「はい」
「さあ、立ちな、立ちな。立てねえかい」
「大丈夫でございまっしゃろ」
「いいよ、いいよ、立てなけりゃ、立てるまで、そうしていなさるがいいや、わしゃ爺さんに心当りを教えてもらいさえすりゃいいんだ」
「はい」
「わしゃあね、下原宿の嘉助という者の実は……甥《おい》なんだがね」
「はい」
「餓鬼《がき》の時分から手癖が悪くって、諸所方々をほうつき廻り、めったに叔父さんといってたずねたことはねえんだが、ちっと旅先で聞き込んだことがあるから、急にかけつけて見ると、飛騨の高山がこの始末なんだ」
「はい」
「下原宿の嘉助は、どこへたちのいたか知らねえかい」
「はい……下原宿てえのは焼けやしませんでな」
「焼けねえと……じゃあ焼け残ったのか。そいつぁまあ、どっちにしても仕合せだった。爺さん、済まねえがひとつその下原宿の嘉助のところまで、わっしを案内しておくんなさらねえか」
「ええ、そりゃなんでございます、お安い御用でございますて」
「うむ、済まねえな、もう立てるかい」
「へい、もう立てまっしゃろ」
「それからねえ、お爺《とっ》さん、もう一つ頼みがあるんだがね」
「下原宿の嘉助さんていえば、たいした威勢でございますでなあ」
「もう一つ頼みというはねえ、お爺さん、その嘉助に一人娘があるんだがなあ、おいらには従妹《いとこ》に当るってわけなんだが」
「はい、はい」
「その従妹が、今、お代官のお邸《やしき》に御奉公かなんかしているということなんだが、ついでにちょっと寄って行きてえんだ、お代官邸てえのは、どっちの方なんだえ、それへもひとつ案内をしてもらいてえと思うんだが、きいちゃあくれめえか」
「はい」
がんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎は、たった今のききかじりをここで、もう応用してしまっている。目から鼻へ抜けたつもりで、すっかり応用を試みているが、相手の煮えきらないこと、はい、はいとは言うが、いっこう立とうともしないから、業《ごう》を煮やし、
「まだ、立てねえのかい」
「もう、大丈夫でございまっしゃろ」
「大丈夫でございまっしゃろはいいが、立てねえじゃねえか」
「はい、はい」
「ちぇッ、そら、爺さん、手をとってやるよ、威勢よく起きねえ」
と言って、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、その手首をグッとひっぱって、いくらか包んで、屑屋の手に持たせ、ようやく起してやり、
「さあ、先へ立って案内してくんな」
要領を得て、怖々《こわごわ》ながら、屑屋の老爺《おやじ》が立ちかけたが、またぺたりと腰を落し、ワナワナと慄《ふる》え出して、
「あっ! あっ!」
といって指さしをして、その手でがんりき[#「がんりき」に傍点]の合羽《かっぱ》の裾を激しく引く。
五十六
「世話の焼けた老爺《おやじ》さんだ」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は、骨無し同様な、老爺の腰の抜けっぷりに愛想をつかし、こんな度胸で、火事跡荒しに来るなんて、全くふざけた老爺だと思って、蹴飛ばしてやりたくなったのを、そうもならず、ぜひなく老爺の指さした方を見ると、こんどはがんりき[#「がんりき」に傍点]がゾッと立ち尽してしまいました。
「お化け……」
老爺は指差しをしたまま、二度目に腰を抜かして、ヘタヘタと坐り込んでしまっている。
その指さきの示すところを見ると、ほぼ十間の彼方《かなた》の同じ焼跡の中に、すっくと立って、こっちを見ている一つの黒い人影があるのです。
「おや?」
がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵もギョッとして、瞳《ひとみ》を定めてそれを見る。
さいぜんからそこで我々を見つめていた人影一つ、荒涼たる焼野原を透して、宮川の外《はず》れから白山山脈が見えようというところ、月の晩ではないのに、その輪郭が白くぼかしたように浮き上っている。
「おや……」
がんりき[#「がんりき」に傍点]は、たじろぎながらその物影を篤《とく》と見直すと、覆面をして、着流しのままで、二本の刀を帯びて、じっとこちらを睨《にら》んでいる。
こいつは辻斬だ! はあて、飛騨の高山でも、辻斬が商売になるのかな。
ちょうど、下に置いてあった屑屋のがんどう[#「がんどう」に傍点]提灯《ぢょうちん》を、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百が手にとって、その異形《いぎょう》の者にさしつける途端、
「あっ! いけねえ」
すさまじい音をして、がんどう[#「がんどう」に傍点]提灯が、数十間の彼方にケシ飛ぶと共に、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百も共に、数十間ケシ飛びました。
同じケシ飛んだのではあるけれども、がんどう[#「がんどう」に傍点]の方は飛んだところへ行って留まったが、がんりき[#「がんりき」に傍点]の方は横っ飛びに飛んだまま、
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