かかっちゃ、からたあいねえんだから、異《い》なものだのう」
「お代官という商売も、いい商売だのう、百姓の年貢《ねんぐ》はとり放題、領内のいい女は食い放題――わしらが覚えてからでも、あの親玉の手にかかった女が……ええと、まずガンショウ寺のあのお嬢さんなあ、それからトーロク屋の女房、それとまた富山から貰うて来たという養女名儀のお武家の娘――品のいい娘だったが、あれが内実はお手がついたとかつかんとかで親里帰り、それからまた、興楽亭のおかみなあ、あれも、親玉に持ちかけたとかすりつけたとかの評判じゃ。その他芸子や酌女は、片っぱしから食い放題、町の中で、いい女と見たら誰彼の用捨無しという親玉だあ」
 この連中、かりにも、陣笠、打割羽織、御用提灯の身として、口が軽過ぎるのも変だが、こんな話を、他ならぬがんりき[#「がんりき」に傍点]の百の野郎なんぞに聞かしてよいものか、悪いものか。

         五十三

 陣笠、御用提灯、打割羽織というけれども、本来これらの連中は、生れついてのお役人の端くれではない。
 この非常の際に、代官でも手が廻らない上に、近頃、材木盗人が横行する。それはこの大災について、材木の払底を告げたところから、土地の者が近村の山々を、無願伐採するやから[#「やから」に傍点]が多い。それらの目附とを兼ねて、土地の者で相当の功労を経たのを引上げて小差配に任命して、大差配の下につけたのだから、譜代恩顧の手附手代といったようなものとは地金が違い、しかつめらしいいでたちをしながら、時と場合を見すましては馬鹿口がころがり出す。ここでも、お役目がらとはまるで違った蔭口を向けている先は、お代官と言い、親玉と言うのが同一のことに過ぎない。そのお代官であり、親玉である上長官が、女に目がないということを、面白がってすっぱ抜いているらしい。すっぱ抜く方も面白がり、それをきく方も嬉しがっているらしい。お里がお里だから、お安いお役向に出来ているらしい。
「嘉助が娘のお蘭は、ドコか特別に味のいいところがあるんじゃろうてのう、あればっかりが親玉の首根ッ子をつかまえて放さん、親玉の方でも、お蘭に逢っちゃあたあいがねえじゃて。お蘭の言うことならば何でもきく、従って嘉助の出頭ぶりはめざましいものじゃて。飛ぶ鳥も落すというのはあのことじゃてのう」
「お蘭は、そんなにいい女かえのう」
「いい女にはいい女だのう」
「さようなあ、悪いとは言えねえ。お寺の娘さんにも、お武家の娘御にも、商売人にも食い飽きた親玉が放さねえのだから、悪い容色《きりょう》の女じゃねえのう。百姓の娘にしてあれだからのう」
「百姓の娘だけに、うぶなところと、親身のところが、親玉のお気に召したというのだなあ」
「いいや、お蘭も、百姓の娘たあいうけど、てとりものじゃ、商売人にも負けねえということじゃて」
「親玉をうまくまるめ込んでいることじゃろうがのう」
「親玉ばかりじゃありゃせん、その道ではお蘭も、なかなかの好《す》き者《もの》でのう」
「はあて」
「お蘭もあれで、親玉に負けない好き者じゃでのう、お蘭の手にかかった男もたんとあるとやら、まあ、男たらしの淫婦じゃてのう」
「親玉のお手がついてからでもか」
「うむうむ、かえってそれをいいことにしてのう、今までのように土臭い若衆なんぞは、てんで相手にせず、中小姓《ちゅうこしょう》じゃの、用人じゃの、お出入りのさむらい衆じゃの、気のありそうなのは、まんべんなく手を出したり、足を出したりするそうじゃてのう」
「はて、さて、そりゃまた一騒ぎあらんことかい」
「どうれ」
「どっこい」
「もう一廻り、見て、お開きと致そうかいなあ」
「そうじゃ、そうじゃ」
「どうれ」
「どっこい」
 こう言って、彼等は、煙草の吸殻を踏み消し、御用提灯を取り上げて、背のびをしたり、欠伸《あくび》をしたりしながら立ち上る。そうして、まもなく橋を渡って、あちらへ行ってしまう。一旦、平べったくなったがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵の身体が、この時また立体的になる。
「ハクショ!」
 音が高い――自分の口をあわてて自分の左の手で抑えて、
「風邪をひいちゃった――だが聞き逃しのできねえ話をきかされちゃったぜ――畜生、どうしやがるか」
 こう言って、いまいましそうに、御用提灯のあとを見送っていました。
 こうしてみると、御用提灯の連中、言わでものことを、わざわざがんりき[#「がんりき」に傍点]のために言い聞かせに来たようなものです。

         五十四

 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百も、この柳の木の下へ、風邪をひきに来たものでないことはわかっている。何か野郎相当の野心があるか、そうでなければ進退に窮することがあって、よんどころなくこの柳の木の下へ立寄ったものに相違ない。
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