較級に親しみが深いからでしょう。海を見ても泣けない時に、かえって山を見て泣かねばならぬことがあります。
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頭《こうべ》をあげて山川《さんせん》を見
頭を低《た》れて故郷を思う
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このたびの旅行に於て、海は白雲のために友であり、師であって、絶えずこれと共に歌い、これに励まされ来《きた》ったようですが、山がかえってこの男を、人間の悲哀に向って誘い込むらしい。
磐城の連山の雲霧の彼方《かなた》に、安達ヶ原がある、陸奥《みちのく》のしのぶもじずりがある、白河の関がある、北海の波に近く念珠《ねず》ヶ関《せき》もなければならぬ。
それを西北に廻れば、当然、那須、塩原、二荒《ふたら》の山々でなければならぬ。そうして、やがて上州の山河……
「遠くも来つるものかな」と感傷のため息をついたのは、白雲もまだ人間並みに故郷というものを思い出でたからでしょう。おれにも、これで妻子というものがあったのだ、その妻子にも、幾年月の苦労をさせたものだな、という人間感が、犇《ひし》と胸に迫ったから、それが、白雲の面《かお》に、見るに忍びぬ、一脈の傷心の現われを隠すことができなかったものに相違ない。
事実、この男には妻子があったのです。その妻子を故郷に預けて来ていることを、「勿来」まで来て、はじめて、思い出すのはいいが、思い出される妻子というものの身になっても辛かろう。
斯様《かよう》な人間に附属せしめられた妻子というものこそは、全く気の毒の至りです。その気の毒な運命のほどは、嘗《な》めさせられている当の妻子たちは無論のことだが、嘗めさせつつ我を忘れている当人も、他所目《よそめ》ほどには楽でもあるまい、妻子には済むまい――
自己の豪興半ばにして、白雲は、ふいとこの気分のために、心を傷《いた》めぬということはないのです。
旅に出ても、若干の収入さえありさえすれば、自分は食わなくとも、それを妻子に仕送る心がけだけは忘れなかったものだ。幸いにして、この頃中は、あの山かん[#「かん」に傍点]な女興行師につかまって、あの女のために思わぬ大金を恵まれた。それをそっくり故郷の妻子に届けてあるから、あれで当分の生活にはこと欠くまい――という安心が、一つは白雲を駆ってそれからそれと、陸奥の旅までも突進させたのですが、もう一つの動力は、まさに「狩野永徳」のさせる業
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