治の中心地となってしまい、常陸にはその宗藩が置かれ、その常陸を僅か一歩抜け出したところの「勿来」の関。これから奥にはまだ、黄金《こがね》花咲くといわれるところに、伊達《だて》を誇る都もあるし、蝦夷松前《えぞまつまえ》といっても、名もなき漁船商船でさえが、常路の如く往来をしているこの際に、白雲ほどの豪傑が、ホッと息をついて、「遠くも来つるものかな」は女々《めめ》しいではないか。
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吹く風ならぬ白雪に
勿来の関は埋もれて
萩のうら葉もうら淋し
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 但し、ここで白雲の口頭に上った微吟の歌には、なんらの意義がない。さし当り口を突いて出て来た調子のままに、口あたりよき雅言が、詠歎的に歌調をなしたまでのことで、つまり多少とも、清澄の茂太郎にかぶれたものと見ておけばよい。
 立ち尽して、白雲はただ蒼茫《そうぼう》たる行手の方のみを、暫く見つめていました。
「遠くも来つるものかな」
 やはりその旅情を、如何《いかん》ともすることができないらしい。

         十三

 西に眼を転じて、自分は、安房《あわ》の国、洲崎浜の駒井甚三郎の食客となっている身で、それに相当の暇《いとま》を告げて、立ち出でて来た旅中の旅路であることを憶《おも》いました。
 駒井に暇を告げる時は、香取鹿島から、水郷にしばしの放浪を試み、数日にして帰るべきを約して出て来た身なのです。それが、鹿島の浦で興をそそられて、奥州松島を志し、「勿来」の関まで来てしまったことが、我ながら「遠くも来つるものかな」の自省を促さざるを得ないものとなったのでしょう。
 更に東へ眼を転ずると、そこは涯《かぎ》りのない海です。
 海はいつも同じようなことを教える。渺《びょう》たる滄海《そうかい》の一粟《いちぞく》、わが生の須臾《しゅゆ》なるを悲しみ、と古人は歌うが、わが生を悲しましむることに於ては、海よりも山だと白雲は想う。海は無限を教えて及びなきことを囁《ささや》く。人間の生涯を海洋へ持って行って比べることは、比較級が空漠に過ぎるようだ。
 左に磐城《いわき》の連山が並ぶ、その上に断雲が低く迷う――多くの場合、人間は海よりも山を見て、人生を悲しみたくなる。それは特に山に没入する時よりは、山を遠くながめる時に於て、山というものの悠久性が、海というようなものの空漠性よりは、遥かに人間の比
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