ころでいらっしゃいます、それに何ぞや、この世が面白くないなんて、心細いことを御意あそばすようでは、金助如きは、世間が狭くなって、もう一寸たりとも、お膝元が歩けません、いざ改めてお発《はっ》し下さいませ、行道先達《ぎょうどうせんだつ》、ヨイショ」
金助は相変らず、アクの抜けないお追従《ついしょう》を並べて、得意がっている。
「見るもの、聞くものが面白くないばかりか、何を見ても、聞いても、癪《しゃく》にさわることばっかりだから、今日は、ここへしけ込んだを幸い、貴様を呼び寄せて、横っつらをひっぱたいてやろうと思っているのだ」
「これは驚きやした!」
金助は頬をおさえて、やにわに飛び上るような恰好《かっこう》をし、
「気がくさくさするから、金助を呼び出して、うんとひっぱたいてやろうなんぞは、全く恐れ入ります、ひっぱたく方の御当人は、それでお気が晴れましても、ひっぱたかれる方の金助の身になってごろうじませ」
金助は、仰山な表情をして、痛そうに頬を押え、
「しかしまあ、殿様、金助如きが面《つら》でも、打ってお心が晴れるなら、たんとお打ちなさいまし、金助、殿のお為めとあらば、横っ面はおろか、命まで厭《いと》いは致しませぬ」
「じゃ、なぐるぞ」
「さあ、お打ち下さいまし」
「いいか」
「はい、殿のお為めとあらば、骨身を砕かれても厭うところではございませんが、それに致しましても、なるべく痛くないようにお打ちを願います、ヘボン先生に足を切らせると、痛くないように切って下さるそうでげすが、あの伝でひとつ……」
「それ、面を出せ、横ッ面を……」
「はい、なるべく、どうか、そのヘボン式というやつで」
「いいか」
「是非に及びませぬ、こんなことだろうと思って、家を出る時に、女房子と水盃をして出て参りました」
「泣くな」
「泣きゃいたしませぬ」
金助は覚悟をして、なめくじのような恰好をし、頬のところを主膳の方に差向けて、すっぱい面をしながら、
「いつぞやは、御新造様に打たれました、あれはあまり痛みませんでございました。その前は女軽業の親方に打たれましたが、女とはいえあの方は、ちっと薬が強うございました。女とは申せ、あの女軽業の親方なんぞは気が荒うげすからな、自然、痛みの方も激しうげしたが、そこはそれ、痛みが強いだけ、利《き》き目の方もたしかなものでげしてな、この風通《ふうつう》と、このお
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