曝し物というものは、見せるために据えつけて置くのだから、いくら見据えたところで、文句の起るはずはないが、主膳がこうして痛快な気分で、「見られたざまじゃねえや」――巻舌をしながら見据えているのは、その気が知れないことです。
主膳としては、こいつらが、覿面《てきめん》の仕置を蒙《こうむ》って、見せしめになっていることに向って、官辺と市民の制裁が至当であることを、世道人心のために我が意を得たりとして、見ているわけではありますまい。といって、気の毒なものだ、さして腹のある奴等でもないのに、山師に操られて、心ならずも深入りしたために、仮りにも出家僧形の身を、こうして万人の前に曝し物にされている、ともかくも、何とかしてとりなしてみてやりたい……というような臆測の気分で見ているはずもない。
だが、見られたザマじゃあねえや……という呟《つぶや》きの下には、たしかにイイ気味だ、どうだい、そうして曝し場の道に坐っている坐り心地は、どんなものだい……といったような意地悪い色が、眼の中にかがやいている。つまり、神尾主膳は、痛快な残忍性をそそりながら、その曝され物が、ことに多少は自分の身に近いところから出たということに、一層の快味をもって、飽かず見据えている、と見るよりほかはありません。
そのうちに、人だかりの中から、
「なあんだ、なまぐさ坊主のくせに、いやに好い男でいやがらあ、向うにいるあの坊主なんざあ、羽左衛門そっくりだぜ、大方坊主と見せて、蔭間《かげま》でもかせいでいたんだろう」
という職人の悪口が、主膳の耳にとまりました。
「蔭間だ、蔭間だ、坊主抱いて寝りゃめっちゃくちゃ[#「めっちゃくちゃ」に傍点]に可愛い、どこが尻やら、ドタマやら」
この声で、人だかりがドッと笑いました。
八十三
幾時の後、吉町《よしちょう》の金筒《きんづつ》という茶屋の一間で、酔眼を朦朧《もうろう》とさせている神尾主膳を見る。
次の間には、抜からぬ面で御機嫌をうかがっている野だいこの金公を見る。
「金助、おれは何を見ても聞いても、このごろはさっぱり面白くないんだ」
と主膳が言う。金助ベタリと額《ひたい》を一つ叩いて、
「頼もしうござんせんな、御前《ごぜん》なんぞはまだ、勘平さんの頭を二つか三つというところでげしょう、三十九じゃもの花じゃもの、まだまだ花なら蕾《つぼみ》というと
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