きない。
 こうしているところを見ると、つまり、自分が世間を翻弄《ほんろう》しているつもりでいても、結局、世間から翻弄されて、浮草と同じことに、落着くところが無い。事実は、あんなのが、正直者かも知れない。
 そこで、兵馬はゆくりなく、吉原に於ての過去の夢を思い出し、悔恨の念と共に、あの時の相手がここに現われた女と、境遇はほぼ同じでも、行き方の全く違ったことを考えずにはおられません。この女の、こうして落着きも、だらしもないのに引換えて、いま考えてみると、あの吉原の女は賢明というものかも知れない。朝夕坐っていて客をあやなし、客のうちの為めになりそうなのをつかまえて、なんのかんのと言いながら、そこへ納まって、かなり完全に、一生涯の生活の保証をつけてしまう。その間に親へ仕送りをもすれば、役者買いの費用をも産み出す。今晩現われたあの芸妓だって、それだけの打算と手管《てくだ》がありさえすれば、こんなだらしのないことにはなるまい。
 なまじい意地があるとか、涙もろいとか、なんとかいうことで、抜けられず、深みにはまって行って、自暴《やけ》が自暴を産み、いよいよ抜きさしのならぬところへ進んで行くのではないか。そうだとすれば、実に気の毒千万のものだ、と兵馬らしい同情の念が起りました。
 この同情が兵馬の弱味でしょう。一旦解決をしてしまいながら、後から同情の追加をしなければならないところに、いつも兵馬の弱味がある。この若者はいつになっても、徹底的に人を憎みきれない純良性から、脱することはできないらしい。
 そう思って、同情はしてみても、眼前、このだらしない、ずるこけ落ちた緋縮緬《ひぢりめん》の品物を見せられると、うんざりする。ひとのことではない、自分が嘲笑されているような気がする。昔、ある城将が、容易に城を出ないのを、攻囲軍が、女の褌《ふんどし》を送ってはずかしめたという話がある。こんなものが落ちていました、これはお前の物じゃないか、と言って、あとから追いかけて還附してやる気にもなれない。とにかく、生酔い本性たがわずに、戻るべきところへ戻って、ぐっすり寝込み、明日はまた宿酔《ふつかよい》で頭があがらないのだろう。厄介千万な代物《しろもの》!
 ぜひなく兵馬は、足もとで、そのゆもじ[#「ゆもじ」に傍点]を蹴飛ばし、蹴飛ばして、高札場の後ろまで蹴飛ばしてしまいました。
 これは蹴出しというも
前へ 次へ
全162ページ中109ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング