出しました。
「そうだ、ちげえねえ、そうだ、ちげえねえ」
と言って、座敷の真中へ出て踊り出したものだから、芸者連も乗り気になって、
「やっかいな金十」
と、糸助が三味線を弾きながら唄いました。
 金十郎がそれにのせて、
「そうだ、ちげえねえ、おれはばかだ」
 皿八がどんぶりを叩きながら、
「コリャ金十郎」
 金十郎ひるまず、
「ちげえねえ、まんなかだ、おれは馬鹿だ」
 糸助が、
「どう見ても金十郎、きんちゃ金十郎、チャララン、チャララン、チャララン、チャララン、金十郎のおきんや、景清《かげきよ》にかまった……きんちゃ金十郎、きんちゃ金十郎」
 こうして、興がいよいよ会場に溢《あふ》れてくる間、プロ亀は、二十日鼠のように座敷をかけめぐって取持っている。
 芸尽しがいよいよ酣《たけな》わになる、なかには名古屋|甚句《じんく》も聞える――
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出来たら出来たと言やあせも
こちらもカンコがあるわえのう
[#ここで字下げ終わり]
と騒ぎ出したものもある。
 その中にも、安直先生だけはすこぶる自重したもので、キチンと坐った座をくずさず、ぎゃくらっきょう[#「ぎゃくらっきょう」に傍点]の面を燈《あかり》にうつむけながら、嬉しそうな色を見せず、口数もあんまり利《き》かないところは、見上げたものだと思わせました。
「ぎゃくらっきょう」というのは、逆蛍《ぎゃくぼたる》とか、裏天《うらてん》とかいったように、安直の面《かお》が、らっきょうを逆にしたようなところから出た、口の悪い通り名であろうと思われる。
 かくて、安直と、金十郎の行を壮《さか》んにすべき送別の宴は、夜の更くると共に、興が尽くるということを知りません。



底本:「大菩薩峠12」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年5月23日第1刷発行
底本の親本:「大菩薩峠 七」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月20日初版発行
※底本では、「…喧嘩を売りたがるお角さんではないのだが、」と「…いつまで経っても、それが解《げ》せないのです。」の後に、改行が入っています。
※疑問点の確認にあたっては、「中里介山全集第七巻」筑摩書房、1971(昭和46)年2月25日発行を参照しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年1月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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