道庵の方では、友様の野郎をまい[#「まい」に傍点]てやったと大得意でふざけきっているが、米友の方では、その忠実厳正なる責任感から、血眼《ちまなこ》になって主と頼む人の行方《ゆくえ》を探し廻ったことも、一度や二度ではありませんでした。
これは道庵としては、甚《はなは》だ罪のあるやり方ですけれども、一方から言えば、忠実すぎ、厳正すぎる監督者の眼をかすめたくなることも、日頃、品行方正な道庵としては、せめて旅行中ぐらいは、大目に見てやらなければならぬ事情もあります。
今朝は、まさしく、その前例と違って、道庵の方で米友を見失ったので、道庵が米友をまいた[#「まいた」に傍点]のでないことはわかっています。そこで、さしもの道庵も少々しょげて、
「はて、友様はどうしたろう、あれから、ああして、あの時までは、あれだったが、ああしてその後が……『水祝い』の時は、奴、いなくってよかったと思ったが……奴がいてごろうじろ、軽井沢の伝で、棒切れを振り廻された日には、せっかくの御趣向が水にもならねえ、あの時ばっかりは友様がいてくれねえのがお誂《あつら》えだと思ったが、はて、それから、ちょっと外へ出てくるから許し
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