うでござります」
「ナニ、淫楽に耽った……」
「はい」
「淫楽――というのも程度問題じゃな、これだけの家を踏まえている主人として、妾《めかけ》の一人や二人あったからとて、死んだ後まで、そう嫌わんでもよいではないか」
 貴公子が存外、さばけて挨拶をするのを、用人は、いっそう恐縮して、
「それがその、男性でござりませぬが故に……」
「男性? 男ではないのか、この家の元の主人は」
「はい、夫なるものは死に失せまして、後家を立てておりましたが、いやはやどうも、箸にも棒にもかからぬ淫婆でござりまして……」
「おお、そうか、女主人であったのか」
「はい」
 しかしながら、女主人であるが故によいとも、悪いとも言わず、碁の手が難局になったと見えて、そこで貴公子は沈黙してしまいました。せっかく、ここまで話をすすめた用人は、その結論が聞かれないので、がっかりしたが、やっと少しばかり膝をにじ[#「にじ」に傍点]らせて、
「左様な不所存者の非業の死体をこのところに引取り、御座元《ござもと》間近を汚《けが》すことは、恐れ入った儀でござりまする、さりとて、当人の死体のために席を貸すという家は一軒もござりませぬ、よ
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