二三日も館《やかた》へ帰らぬことがあったから、領主が泣いていた。この飛騨には海がないのみならず、わしが食い足りるほど泳ぎたい池も、沼も、湖もない」
「ははあ」
「そなた、何ぞ、芸に遊ぶ心得はないか、たとえば、歌をよむこと、絵を描くこと、香を聞くこと、管絃をかなでることでもよろしい、さもなくば囲碁か、双六《すごろく》か」
「はい、いっこう何も心得ませぬが、囲碁ならば少々」
「ああ、それはよろしい、わしのところへ来て相手をしてたも……わしもここに閉じこめられて、鬱積して堪え難いのじゃ、わしを不憫《ふびん》と思うて慰めてもらいたい」
十七
兵馬も竹刀《しない》を取っては、充分にこなし切れるが、このたてつづけの挨拶には、ほとんど応接に困るのでありました。
第一、このたてつづけの質問の主は、誰人であるかわかりもせず、また名乗りもしない先に、自分の注文だけは遠慮なく提出し、ただ提出するだけならよいが、いちいちそれが命令的になってしまうのです。
兵馬というものを、この山中の都会で見つけ出して、遮二無二《しゃにむに》、自分の伽《とぎ》にしてしまわねば置かぬという権高と、性急
前へ
次へ
全163ページ中53ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング