それと甲州流の軍学を心得ていたということだ。そのほか、この土地の先生に就いて学問もやれば、習字もやったが、なんにしても飛騨の山の中では本当の修行はできやせん、まもなく江戸へ上って、鍛えたから、まあ当今あれだけになったものさ。ははあ、そんなに強いかね。天性力はあったね。鬼鉄《おにてつ》、なるほど、そうかも知れぬ。だが、感心に若い時分から信心家でな、八つぐらいの歳から観音様を信仰していたものだとさ。面白い話が一つある、叔父さんかなんかのために鎧《よろい》をこしらえていたが、その出来が遅いと言って怒られた、その晩、先生|素裸《すっぱだか》で、黒の桔梗笠《ききょうがさ》をかぶって、お盆の上へ蕎麦《そば》を一杯|恭《うやうや》しく盛り上げ、そいつを目八分に捧げて、その叔父さんかなにかのところへ出かけて、まじめくさって、門口に突立っていたものだから、みんなギャッと言って肝をつぶしたことがある。素裸で、お蕎麦一杯を恭しく捧げて、まじめくさって突立った形は絵になるじゃないか、白蔵主《はくぞうす》のお使といったような形だね。そんな人を食ったところもあったそうだ。六百石の小野家から、百五十石の山岡へ押しか
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