衛でございますよ」
と言って、至りついた老人は、お雪ちゃんの前へ来ると、腰をのばして、反《そ》りを打ち、そこへ突立ってしまいました。
「まあ弥兵衛さん、どうしてこんなところへおいでなすったの」
「はい、わたしは、ここからあんまり遠くないところに住んでいるのでございますよ」
「そうですか、ちっとも知らなかったわ」
「はい、はい」
 お雪は突立っている弥兵衛老人の頭から爪先まで、今更のように極めて興味深く見上げたり、見下ろしたりしていました。
「ほんとうにそっくりよ」
「何でございます」
「弥兵衛さんに、そっくりよ」
「何をおっしゃります」
 どうも、ばつの合わないところがあります。弥兵衛さんが、弥兵衛さんにそっくりだということは、別段、念を押すには及ばないことだろうと思われるのに、お雪には、これは容易ならぬ興味の的であるようです。
 それにもかかわらず老人は、極めて無表情に突立って、背に負うたものを、さも重そうにしていました。
 この空気を見ると、お雪ちゃんと、弥兵衛さんとは全く他人です。曾《かつ》て知合いになっていたのでもなければ、この際頼んだ人でもない、単に呼び名だけが暗合したような
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