いけれども、わたし自身が縛られているような気持で、あの静かな白骨谷でさえが、わたしを落着かせてはくれないのです。白川郷ならば、全く浮世のつまらない心づかいから離れて、生きられるように生き、何をしようとも、他人様《ひとさま》にさえ手を触れなければ、思いのままに生きて行ける世界――他人様もまた、それぞれ、思うままのことをしながら、自分たちも生き、わたしたちをも、生かせて行ってくれる世界――それが欲しいのです。白川郷には、その世界が、立派にあるそうです。なんでもかんでも、許してもくれ、許しもする世の中、それで人間が、気兼ねなしに生きて行かなければならないはずじゃありませんか」
「それは人間の世界じゃなく、それこそ畜生道というものじゃありませんかねえ、お嬢さん」
と言って、老人が反問したので、
「え」
とお雪が驚かされました。
「人間の生きて行く道よりは、畜生のいきて行く道の方が、気兼ね苦労というものが、かえって少ないのじゃありますまいか、ねえお嬢さん」
「何ですって、おじいさん――もし人間の生きて行く道が、つまらない気兼ね苦労ばかりいっぱいで、畜生の道が素直で、安心ならば、わたしはいっそ……
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