気を見ると、道庵がまた、すっかり上ってしまいました。自分の説を聴かんがために、これだけの聴衆が集まるということは、自分ながら予想外の人気だと、喜んでしまって、辞することなく演壇に上りました。
道庵は今まで、かく多数の人の前で、改まって講演ということをした経験はないが、演説は随分やったことがあるのです。その一例として、貧窮組の時などを御覧なさい、お粥《かゆ》の材料をのせた荷車の上で、盛んなる大道演説をやって、貧窮組をやんやと言わせたことがあります。
そこで演説ということには、先生、なかなか自信があるのです――この時代、多数の人の前に立って、演説をやるというようなことは、非常な新しい頭を持った者でなければできないことでした。
万延元年(この小説の時代より五六年前)幕府が、新見豊前守を正使とし、村垣淡路守を副使とし、小栗上野介《おぐりこうずけのすけ》を監察として、第一回の遣米使節を派遣した時、コンゲルス(議事堂)を見た「村垣日記」のうちに、
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「其中に一人立ちて大音声《だいおんじやう》に罵《ののし》り、手真似《てまね》などして狂人の如し」
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