も同様、長いこと崇敬を捧げておりました。
 だが、お角さんのは、お稲荷様へするのも、笠森様へするのも、熱田のお宮へ参拝するのも、いつも同じことな熱心と、仕方ですから、おかしくならずにはおられません。つまりお稲荷様も、穴守様も、熱田の神様も、内容はみな同じことなあらたかさをもつ御神体だから、お粗末にしてはならないという恐懼《きょうく》の心と、それから、水商売の者は神様をうやまって、縁喜《えんぎ》を祝わねばならぬということが、因襲的な信仰になっているらしい。
 そこで、丹念に祈祷をこらしてしまえば、もう神社仏閣の形体には、何の興味も、必要も感じないらしいのです。
 ところが、お銀様は、その尊敬と、礼拝とは、ほとんど、問題にしないで、その形体ばかりをあさって歩きたがることは、この道中、どこへ行っても変りありません。
 お角が、委細わからずに尊敬をしているのを、お銀様は冷笑しながら、境内《けいだい》めぐりをして、その額堂に注意を払ったり、庭石をながめたり、水屋をのぞいたり、立札を読んだりして歩いて、ついうかうかと奥深く進んで行って、お角を驚かせることも、この道中、たびたびでありましたから、お角
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