いる間は生きている間、死んだ者は死んだ者じゃ、たとえ生きている間は畜生であろうと、死んだ上は、相当のとむらいをしてやるのが礼儀じゃ、人情じゃ、それをお前は……」
「いけません、おじさん、そ、そ、そんな礼儀や、人情は、この場では通りません、とむらいをしてやるならば、してやるようにして、それからなさい、こいつは、この人でなしの亡骸《なきがら》は、この家から引き出さにゃなりませぬ」
「こ、これ、阿呆するな、ばかな真似《まね》をするな」
「誰が何と言っても、わしが不承知じゃ、これは追い出さにゃ置かぬ」
「理不尽な、それでは、わしが承知じゃ、わしが承知で、この葬式はする、お前の知ったことじゃない、お前こそ、この席から抛《ほう》り出してしまうぞ」
「わしを、抛り出す、本当の人間の道を言うわしを、ここから抛り出して、人でなし、畜生の亡骸を、上壇でおとむらいなさる、面白い、それができるなら、おやりなさい」
「できるとも、さあ、わりゃ、出てうせろ、出てうせろ」
「わしを手込めになさったな、おぶちなさったな、おじさん、お前にも言い分がありますよ、お前だって、この死人が、人でなしが生きている時は、わしと一緒に、さんざんに悪口を言って、人間の皮をかぶった獣《けだもの》じゃとばかりおっしゃって、交際《つきあい》も、口きくこともせなんだじゃないか、それを何と思って、こんなに肝煎《きもいり》ぶりをなさるのは、たいがい様子が知れたものじゃ、お前はこの、川杉屋の身代が欲しくって、そうして、それで今更、取ってつけたような追従《ついしょう》をなさるのやろ」
「何、何を言いやる、わしが川杉屋の身代が欲しいから、それでこの席を取持つ、阿呆もほどほどにしておきなされや、ほかの言い分とは違うぞや。生きてるうちはともかく、死んでしまってみれば、こうもするのが世間様への礼儀、人情じゃ、たとえ犬猫が死んでも、道路へ抛《ほう》りっぱなしにもしておけない、そ、それを、わしが好きこのんでするのみか、ここの身代が欲しくてするとは、聞捨てのならないたわごと。痩《や》せても枯れても新家の徳兵衛は、妻子を食わすだけの用意は欠かさぬぞ、貴様こそ、そんな言いがかりをして、この身代が欲しいのやろ」
「笑わせなさんな、親類寄合いの時、わしをこの家の後嗣《あととり》にと、相談のきまったのを、こんなけがらわしい家はいやと、きっぱり断わったわしの舌の根を見ておくんなされ。おじさん、お前こそ、お前こそ怪しい」
「怪しいとは、何が怪しい」
「胸に聞いてごろうじろ、お前は、お前はとうからこの川杉家を覘《ねら》っていた」
「聞捨てならん、こいつが、この席で、皆様の前でこうしてくれる」
 徳兵衛は、よほどこたえたと見えて、いきなり、角之助の頬っぺたを、強《したた》かにつねり上げる。
「あいた、た、た」
「うぬ、こうして、こうして、その横に裂けた口をいたしめてくれよう」
「合点《がってん》だ、人でなしをかばうは人でなし、おじとは思わん」
「うむ」
「こん畜生」
「獄道」
 叔父と甥とが棺の前で、組んずほぐれつ、大争いを捲き起したのはほとんど束《つか》の間《ま》の出来事で、最初から、この寄合いが掴《つか》み合いになるまで手を束ねて、呆気《あっけ》に取られていた会衆が、ここに至るとじっとしてはおられません、一時に仲裁に向って立ち上りました。

         二十四

 叔父は甥の口を両手で引裂こうとし、甥は叔父の両鬢《りょうびん》をむしり取ろうとして、取っ組んで、棺の前に重なり合い、転がり合っている二人の身体《からだ》に、立ち上った仲裁の会衆も手のつけようがありません。そのうちに、また他の一方で物争いが持上りました。
 これは仲裁として立ったお通夜の者の中に、また別に、二つの説があって、
「角之助さんの言うのが尤《もっと》もだ」
と言うのと、
「新家の旦那の言い分が人情だ」
と言うのが衝突して、早くも組打ちがはじまってしまったことです。
 仲裁する者が仲裁されるようになると、今夜はどうしたものか、最初から空気そのものが只事でありませんでした。妙に人の心を沈めて、そのくせ神経をイライラさせるような低気圧が、この家の周囲に覆いかぶさっていたのか、それとも、この室内の空気がら、おのずからそういう悪気を孕《はら》み出したのか、それは知れません。
 仲裁が、二説にわかれては、争いがあるばかりで、妥協の望みは壊されて行くのみです。
 口を利《き》いているうちに、それがついに物争いになってしまいました。日頃、温厚を以て聞えた分別《ふんべつ》の者までが、言葉に刺《とげ》を持って、額に筋を張って力《りき》み出したことは、物《もの》の怪《け》につかれたようです。ですから、血の気の多いものは、言葉より手が早くなりました。どうしても、そうい
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