て来たのではなく、相当の社交性に動かされて来ているのだから、やがてはその空気も、幾分か緩和されて、世間話も出たり、笑い声も聞えたりするにはしました。その時分に、いきなり表から飛び込んで来た若い男がありました。眼は上《うわ》ずり、口はひきつって、
「お、お、おじさん……お前は畜生を、人でなしを、生きたけだものを、家へ連れて来て、葬式をなさるそうだ、わ、わ、わしが不承知だ、わしが不承知だ」

         二十二

 この声で、満堂のお通夜の客が、一時に、そちらに眼を集めると、血相を変えて立っている若い男は、これも、この家には一族に当る角之助という江名子村《えなこむら》の山持ちの息子でした。
「何じゃ、角之助、あわただしい、そちゃ何事を言うのだ」
 徳兵衛も、穏かならぬ応対です。
「お、お、おじさん、こ、この死人というのは、人間じゃござんせんぜ」
「ナ、ナ、何を言わしゃるのだ、皆様もきいてござるに」
「何を言うものか、そ、そ、そこに、長い箱に寝そべっている、そりゃ何者じゃ」
「仏《ほとけ》じゃわい、阿房《あほう》言うな」
「仏、仏、おかしいわい、けがらわしい、そ、そ、そんな仏があるかい、畜生じゃ、畜生じゃわい」
「ナ、ナ、何を言いくさる、おぬし、気が違ったか」
「気は違やせんわい、お、お、おじさん、お前が気が違ったろう、お前ばかりじゃない、ここへ集まる、皆さんが、みんな気が違っていなさるのじゃわ」
「ナ、ナ、ナ、ナニを御無礼なことを言わっしゃる、わ、わしはいいが、皆様を気違いじゃとは、そのおとがい――……」
「気違いでなくて何じゃ、この、この人でなしは、この家へ入れるべきもんじゃない、皆様、皆様も、こんな人でなしの畜生のために、なに、御回向《ごえこう》がいろうぞい、おかしいわい、臍《へそ》がよれるわい」
「わりゃ、わりゃ、まだぬかすか、ほんとうに慢心じゃ、ほんとうに気違いじゃ」
「いいや、わしは気は狂わぬ、この人でなしをここへ連れて来た者が狂っている、ここへ集まった者は性根《しょうね》が腐っている」
「まだ言うか、われ、そのおとがいを打砕《ぶっくだ》いてくれる」
「砕けるものなら砕いてもらおうわい、その前にわしが言うことを聞いて置きや、この仏、仏ではない、人でなし、地獄、畜生婆あはこの川杉屋で何をしたか、皆様、知ってござろう。これほどの身上《しんしょう》を滅茶苦茶にして、病気の養生をさし置きながら、男三昧《おとこざんまい》のしたい放題、角力《すもう》が来れば角力、役者が来れば役者、外にいるやくざ者、家へ置くのらくら男、みんな手を出したり、足を出したり、世間の物笑いは苦にもせず、親類一同の顔に泥を塗り、それのみか、御亭主の直右衛門殿の病気でふせっている眼の前で、浅公という若い奴ととち[#「とち」に傍点]狂い、世間の噂《うわさ》では、毒を盛って直右衛門殿を殺したといわれる。それで、その浅公という若いのを連れて、温泉びたり、いい気になって湯水のように身代をつかい散らす、あれで罰《ばち》が当らなければ当る人はないと、皆さんまで、みんな評判をなさったじゃないか。ところがどうです、お天道様はムダ光りはござんせんや、とうとう白骨の谷で神隠し、沼へ落ちたとか、岩にぶっ裂かれたとかいって、今日まで行方知れず、ほんとに天罰は争われないものだと、皆様もおおっぴらにおっしゃった。こっちも、やれやれ浅ましいことじゃ、せめてものこと、その浅ましい死様《しにざま》が曝《さら》されず、神隠しになっているがお慈悲じゃ、沼へ落ちたなら、死体がまったく底へ沈んでしまって浮き出さないように、岩にぶっ裂かれたんなら、鳥獣の餌になってしまって骨も残らないように、それだけを念じて、今日まで見つからなんだのを仕合せと思っていたら……なんという因果じゃ、今日このごろになって、業晒《ごうさら》し、恥晒し、不浄晒しな死体が見つかったという。わしは、あっちで焼くなり、埋めるなり、よう処分して、こっそり帰って来ると思ったら、そのけがらわしい、業晒しを、正のまま、ここへ持って来て、この家で葬式をするそうな。なんという、ナ、ナ、なんという阿呆、何という物知らずの集まりじゃ。この葬式《とむらい》は、わしが不承知、そ、そんな地獄の、畜生の罰《ばち》あたりに、この畳一畳でも汚しちゃ済まぬ、引き出せ、叩き出せ、ほうり出して犬になと食わせてしまえ」
 憤慨のあまり、吃弁が雄弁となり、猛《たけ》り立った角之助が、棺箱に向って飛びつきました。

         二十三

「こ、こ、こ、これ、何をしくさる」
 今度は徳兵衛が、吃《ども》り且ついらって、棺に向って飛びついた角之助をおさえ、
「いまさら、お前が、それを並べんでも、わしも知っとる、皆様も御存じじゃ、この席で、それを並べ立てて何になる、生きて
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