人なのですが――に、悠々閑々《ゆうゆうかんかん》と大八車が進んで行くものですから、あっといって、やや心を強くしました。
 やっぱり腰抜けばかりじゃないわ、ああした度胸の据った人もある、車力には惜しい度胸だ、こう思いつつあるお角を乗せた早駕籠が、早くも大八車をすり抜けた途端に、お角は、この悠々閑々たる勇者の面《かお》を見てやりたいと思ってのぞくと、それが見紛うべくもなき宇治山田の米友でしたから、
「おやおや、友さんかエ」

         四十五

 早駕籠をとめさせたお角が、
「友さんじゃないかエ」
「あっ! 親方」
 米友は舌を捲いて、梶棒を控えました。
「友さん、お前、いつ車力になったの」
「ええ、その、ちょっと、都合があるものですから」
「いい御苦労だねえ」
「そういうわけじゃねえんだがね、よんどころなく、つい……」
「そうして、お前、その車を引っぱってどこへ行こうというの」
「名古屋まで行くうちには、車力が追附いて来るだろうと思うんで。そうでなけりゃあ、持主が何とか言うだろう」
「ほんにいい御苦労だよ。それに何だね、ついているのは、穀物に熊の子じゃないの、判じものみたようだ」
「何しろ、親方、車力の奴が、車を置きっぱなしにして逃げちゃったもんだからね、車に乗っかって来たおいらが、車を引くようなことになっちまったんだ」
「おやおや、乗逃げだの、薩摩守だのということはよくあるが、引逃げなんていうのは新しい」
「どうもこれ、打捨《うっちゃ》っても置けねえからね」
「もしお前、車力が戻って来なければ、名古屋までそうして引張って行ってやるつもりかエ」
「どうも仕方がねえ」
「ほんとに、御苦労さまな話だ、まあ、そんなことも功徳になるかも知れない。駕籠屋さん、まあ、ゆっくりやって下さいよ」
とお角が言いました。今まで、自然の勢いで早駕籠のようになっていたのが、これから大八車と押並んで、かなり悠長な足どりをすることを、駕籠屋が余儀なくさせられましたから、
「済まねえね」
と米友が何とつかず詫言《わびごと》を言ったものです。
 かくて駕籠と大八車とが押並んで、駕籠の中のキンキンする姐御《あねご》と、大八車の梶棒にしがみついた精悍《せいかん》なる小冠者とが、そぐわない調子を、つとめて合わせながらの物語。
「友さん、そうしてお前、いったい、その荷物は、名古屋のどこのなんというう
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