も同様、長いこと崇敬を捧げておりました。
 だが、お角さんのは、お稲荷様へするのも、笠森様へするのも、熱田のお宮へ参拝するのも、いつも同じことな熱心と、仕方ですから、おかしくならずにはおられません。つまりお稲荷様も、穴守様も、熱田の神様も、内容はみな同じことなあらたかさをもつ御神体だから、お粗末にしてはならないという恐懼《きょうく》の心と、それから、水商売の者は神様をうやまって、縁喜《えんぎ》を祝わねばならぬということが、因襲的な信仰になっているらしい。
 そこで、丹念に祈祷をこらしてしまえば、もう神社仏閣の形体には、何の興味も、必要も感じないらしいのです。
 ところが、お銀様は、その尊敬と、礼拝とは、ほとんど、問題にしないで、その形体ばかりをあさって歩きたがることは、この道中、どこへ行っても変りありません。
 お角が、委細わからずに尊敬をしているのを、お銀様は冷笑しながら、境内《けいだい》めぐりをして、その額堂に注意を払ったり、庭石をながめたり、水屋をのぞいたり、立札を読んだりして歩いて、ついうかうかと奥深く進んで行って、お角を驚かせることも、この道中、たびたびでありましたから、お角さんは、それを気の知れないことだと思います。
 今日も、その例に洩れず、お角が神宮に長いこと拝礼の時間をとっている間に、お銀様はふいと、境内の裏へそれてしまいました。
 今にはじまったことではないから、お角も別段にそれを怪しまず、長いこと丹念に祈祷をこらしてから後に、鳥居側の茶屋へ寄って休んでいました。
 ほどなく、お銀様は、ここを目当てに戻って来るだろうし、今日の目的地の名古屋城下は目と鼻の間だし、ふとめぐりあった米友には、宿元をよく言い置いて来たから、万一先着したからとて、万事心残りはない――と、今日はゆっくりした気持で、鳥居側の茶屋に休んでいました。
 けれども、それにしても、お銀様の行動が気にならないではありません。
 鳴海の宿のこともあるし、いったいあのお嬢様は、なんであんなにひとりで、出歩きをなさりたがるのだろうと、不審でたまらないものがあります。
 お角さんには、お銀様の考古癖が全くわからないのです。お銀様もまた、お角さんにその説明の労を取ることを厄介がっているし、また説明しても無駄だと知って、打捨てておくのかも知れません。
「庄公、お前、お嬢様についておいでな、ここは、
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