至るのです。先輩の弥次郎兵衛、喜多八は、京都で梯子《はしご》を一梃売りつけられたのでさえも、あの通り困憊《こんぱい》しきっている。
 それからもう一つ、食物です。犬や猫ならば……よし馬であったからとて、道中の食物には不自由させまいけれど、熊の食物ときては、米友としても当りがつくまい。
 そんな、こんなの一切の葛藤《かっとう》は少しも頭にこんがらからず、米友は、絶対的にこの熊を救わなければならない、自分で買えないにきまっているから、道庵先生に、どんなに迫っても、これを買わせなければ置かぬ、そうして、ムクによって失われている愛着を、この熊の子の身の上の安全と、成長の上にかけて、最後まで見次《みつ》がねばならぬという固い決意は、もはや何物をもっても動かすことができません。
 この時、米友の背後が遽《にわ》かにザワめいて、旗幟《はたのぼり》を押立てた夥《おびただ》しい人数が、街道を練って来るのを認めました。
 まもなく、近づいたのを見ると、それはしかるべき大相撲の一行であります。
 相撲連が、のっしのっしと大道を歩んで行く。その旗のぼりにはおのおのその名前が記されてある。こうしてかおみせのような勢いで、名古屋上りをするものと見えましたが、それに続いて夥しい人数が、後から後からと続いているので、往来が暫く遮断されたようなものです。米友はその夥しい後詰《ごづめ》を見ると、直ちに、これは「折助《おりすけ》だな」と感じました。それにしても、こんな大勢の折助が、まさか、名古屋城攻撃に出かけたわけでもあるまいが、折助もこうたくさんになると一勢力だ。天下の往来を、折助で独占してしまうこともできる。
 見ると、これらの無数の折助連は、横綱、大関をはじめ、取的連のふんどしを、みんなして担いでいることを知りました。
「人のふんどしで相撲をとる気だな」
と、米友は冷笑してみたけれども、その何百千の折助のために、自分の車が動かなくなっていることを、如何《いかん》ともすることができません。

         三十九

 これより先、女興行師の元締お角さんは、お銀様にかしずいて鳴海の宿を先発して、熱田の宮に参詣を試みたところです。
 お角さんは、神社仏閣をおろそかにしてはならないことをよく心得ています。街道に於ていずれの神社仏閣にも丹念に礼拝をこらさないということはありませんが、ここの熱田の宮へ来て
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