京大阪は、ほんの目と鼻、京大阪へ行った日は、金刀比羅様《ことひらさま》ということになりましょうから、ひとつこの際、奮発して出かけてみましょうかね。遊びですよ、遊びに出かけるんですよ、西国巡礼に毛の生えた物見遊山でございますよ、決して仕込みに行くのじゃありませんよ」
 こう言って、お角さんは、若衆《わかいしゅ》の七公だけを一人つれて、気散じに出かけたものです――その途中、表東海道を通る順だけれども、かねがね、恩顧にあずかっている有野村の大尽様に、ご無沙汰のおわびをし、兼ねて、このごろは家に帰っているとの通知を得たお銀様にも会って行きたいし、そんなこんな事情から、甲州街道を取って、ひとまずこの地へ立寄りをしたものですが、これから後は富士川を下って東海道筋へ出るか、あるいは諏訪へ出て飯田から名古屋方面へ出るか、それもまだきまっていないらしい。
 その一通りの道程を、お角はお銀様に物語る前に、伊太夫に会って、逐一《ちくいち》話してしまったのです。
 伊太夫はお角のきっぷ[#「きっぷ」に傍点]を愛して、かなりの信用と、贔屓《ひいき》を払っている。今日、わざわざ道を枉《ま》げて尋ねて来てくれたことにも、非常なる好意と、歓喜とを感じている。
 お角さんの方でも、今後また名古屋を地盤として、東西へ足をかけた仕事に乗出してみるような機会には、この大尽の好意、或いは諒解を得ておくことは、どのみち損ではないと考えていました。
 この一伍一什《いちぶしじゅう》を、最初、お角さんが、伊太夫に向って物語った時、それを聞き終った伊太夫が、思い当るところあるらしく、考え込んでいたが、結局、こういうことをお角さんに向って申し出しました、
「それは結構なことで。いつになっても、お前さんのその男まさりの仕事好きの勇気には感心するよ、お前さんが男であったら、それこそ大物師になれるし、一代の金持にも、株持にもなれるお人だ、感心しました。ずいぶん、大切に行っておいでなさい。また旅先で何かと、わしで用の足りることがあったら、言ってよこしてみて下さい……それからね、いやな話だが、やっぱり落ちて行くのは、あの娘のことだがね――あれもお前さんにまで、重々迷惑をかけてしまったが、何ともしようがない、今は我儘放題にして、屋敷のうちへ取りこめて、腫物《はれもの》にさわらないようにしているが、まあ、わしでもいるうちはいいとして、わしが欠けてしまった日には全く思われる――この家が焼けたなんぞは、それに比べるといわば小さな災難かも知れない。ところで、どうしても、あれの将来を見て行く成算がわしには立たない。前にもあとにも、あれを預けて、やや安心のできたのは失礼ながらお前さんばかりだ。どうでしょう、言われた義理ではないが、お世話ついでに、もう一ぺんあれを見てやっていただけますまいか。まず、あれを一緒に連れ出して、名古屋見物から、伊勢参り、京大阪、四国九州、お前さんとならば唐天竺《からてんじく》でもどこでもいいから、ひとつ引廻して来てくれまいか。ああして、暮らさして置いては何をやり出すか知れたものではない、お前さんならば、あれを引廻せると思う、引廻しているうち、馬じゃないが乗り放したってかまいません。旅をさせて、その日その日の気分を転換させれば、存外気が発して、さばけてくるかも知れません。これはお前さんを見かけてのお頼み、お前さんでなければ頼まれてもやれない仕事だが……なんと、わしが胸の中を察して、引受けて下さるまいか」
 こういって、口説《くど》かれた時に、お角さんの気象として、それを断わり得る理由がありません。
「どう致しまして、わたしなんぞに、あのお嬢様をお引廻し申すなんて、そんな力があるものじゃございません、わたしどもこそ、お嬢様から引廻されているようなものでございますが、それでも多少年の功で、おとなしく引廻されているところに御贔屓《ごひいき》があるんでしょうと存じます。とにかく、おすすめ申してみることはみましょう。ほんとに旅ほど気晴らしなものはございません、お嬢様のお気に向くかどうか、それは存じませんが、おすすめ申すだけはおすすめしてみましょう」
 こういうふうに答えて、お角は、お銀様に向い、一通りのゆくたてを話した後に、改めて、それとなく父の希望を、自分の希望として、お銀様に旅の誘いをかけてみました。
 お角の説きつけぶりがよかったせいか、お銀様の風向きがよかったのか、すらすらとお角の誘引に乗出したのが不思議なくらいでありました。
「そうですね、そう言われると、東海道の道中は面白そうですね、名古屋の踊りも見たい、お伊勢参りもしたい、奈良や、京都や、大阪、なんだか物語でなつかしがっている風景が、眼の前へ浮いて来るように思います。お前さんとなら安心だと思います、一緒につれてもらおうか知ら」
「お嬢様、ぜひそうなさいまし、わたしがついて、思いきって、お嬢様に面白い旅をさせてお上げ申しますよ」
 こうして、お角はとうとう、お銀様を口説き落して旅立ちの決心をさせてしまったのは、予想外以上の成功でありました。
 お角が、この予想外以上の成功に、自分の腕の誇りを感ずるよりは、それと聞いた父の伊太夫の喜びは、非常なものでありました。厄介払いをしたというわけでないが、たしかに自分のあえぎあえぎ背負って来た重荷を、一時《いっとき》なりとも人に肩代りをしてもらう心安さを、喜ばずにはおられなかったらしい。
 スフィンクス建設の工事と計画は、案を授けて、不在中に進行させ、自分は早くも旅の用意にかかったお銀様――お銀様自身の用意よりもなお周到に、十二分の用意を迅速にととのえてやる父の手配。
 善はいそげ、御意の変らぬうちと、その発足も、翌日ということにきめてしまいました。
 この有力な人質を得て置くことは、今も昔もお角にとって、損の行くことではありません。一石二鳥というが、これは少し荷が重いには違いないが、一石二鳥にも三鳥にも、或いは無尽鳥にも向う宝の庫を背負わせられたように、転んでもただは起きないお角の功名の一つでありました。
 これがまた、父の伊太夫を喜ばすことは前述の如く、この暴女王の絶対権に支配されていた以前の小作たちから圧迫の重石《おもし》を除いて、鬼のいぬ間という機会を与えた善根になるというものです。
 いずれにしても、お銀様の急の旅立ちということが、三方四方によい空気を持ち来《きた》してしまったことは、近頃にはない勿怪《もっけ》の幸いでありました。
 だが、申し合わせたわけではないが、この時、名古屋にはすでに、江戸ッ児の先達《せんだつ》を以て自ら任じている道庵先生が、すでに先発している――それに伴うて、お角さんにとっても、切っても切れない縁のあるらしい正直にして短気の米友公というものの存在がある。
 そこへ、お銀様と、お角さんが乗込んで、万一かの地で鉢合せでもしてしまった日には、名府城下の天地の風雲も想われないではない。

         三十五

 神尾主膳はこのごろ、子供と遊ぶことに興味を覚えたらしい。だがそれは子供と遊ぶというよりは、子供をおもちゃにすること、子供を涜《けが》すことによって、自己の満足を買うことに興味を感じ出したものというのが至当でしょう。
 それの因縁は、先日のある日のこと、子供らが凧《たこ》をひっかけたのを取ってやったことに原因して来ているようです。子供たちもようやく狎《な》れ睦《むつ》ぶの心を現わして、
「ここんちの親玉は、こわい面《かお》をしているけれど、本当は怖くないよ」
「悪いやい、親玉なんていうのはよせやい、こんな大きな、豪勢なお屋敷だろう、殿様だよ、きっとお旗本の殿様なんだぜ」
と、たしなめる。
「殿様――殿様にしちゃあ、家来がすくねえのう」
「殿様の御隠居なんだろう」
「御隠居――それにしちゃあ、年が若《わけ》えのう」
「だって、ただのさんぴんじゃ、こんなお邸は持てねえや、殿様だよ、殿様にしておかねえと悪いや」
「殿様? ほんとうに殿様か知ら、じゃあ、加賀様かえ」
「馬鹿――加賀様は百万石だ、殿様だって、ここん殿様あ、そんな大名と違わあ」
「じゃあ、何て殿様?」
「殿様は殿様だが、お旗本だよ」
「お旗本の何て殿様なの――」
 こうたずねられて、悪太郎の兄《あに》い株が少しテレているのを見る。
 百万石の殿様でないことはわかっている。お旗本の殿様だと仮定してみる。百万石必ずしも大ならず、小なりとも、お旗本にはお旗本の貫禄があるということも、子供心に納得はしているらしい。だが、ここの殿様は、何という殿様――何様のお屋敷とたずねられては一方《ひとかた》ならず迷う。重代の屋敷地ならば知らぬこと、ここへ来たのは昨年であり、御門には表札もなければ、誰もまだ熟したお邸名《やしきな》を呼んでいる者はない。染井のあの屋敷ならば、その以前から人は化物屋敷の名に恐れているが、ここの屋敷には、先住が越して空屋となっていること久しく、呼びならわしたなんらの邸名が無い。
「ここんとこの殿様には、目が三ツあるね」
 先日、平身低頭していた凧の持主が、突然にこう言い出すと、
「ああ、本当だよ、眼が三ツあるよ、一つはここんとこのまんなかにあって、錐《きり》のような形をしていたよ」
 眼が三ツある殿様。普通の眼のほかに、錐のような眼が、額のまんなかに一つついていて、総計三ツある。
「じゃあ、三ツ目錐の殿様と、おいらたちで名をつけようじゃねえか」
「三ツ目錐の殿様――よかろう」
「いいかえ、では、ここの殿様は三ツ目錐の殿様、このお邸は三ツ目錐の殿様のお邸っていうんだなあ」
「ああ、そうきめちゃおう」
「きまった、きまった、三ツ目錐の殿様、三ツ目錐のお邸」
 異議なく、ここに新名称が選定される。口さがなき根岸わらべによって、神尾主膳は、三ツ目錐の殿様の名を奉られてしまう。こういう名称は、本人が聞いて、喜んでもよろこばなくても、禁じてもすすめても、それの流行は止むを得ない。
 子供たちも、さすがに、殿様自身に聞えるようには、選定名称を呼びかけはしないようです。
 三ツ目錐の殿様は、日を期して、これらの童《わらべ》共のために門戸を開放するのみならず、時としては、座敷の上まで、その闖入《ちんにゅう》を拒まないことがある。
 子供らは、よい遊び場所を得たと思っている。見かけは怖いおじさんが、存外以上に甘いおじさんだということを見出してきた。その芝生の上は相撲競技、凧あげに持って来いだし、座敷へ上り込むと、この子供たちとしては、武器や、掛額や、相応見るものがあり、碁盤、将棋盤の弄《もてあそ》ぶ物もあることを見出してきました。
 五人が六人――十人――二十人と殖えて、三ツ目錐の屋敷が、界隈の子供たちの倶楽部《くらぶ》になってきたことをも、主膳は一向とがめる模様がありませんでした。
 だが、ここに繰返すまでもなく、主膳のは、空也上人や、良寛坊が子供と遊ぶことを好むのとも違い、ペスタロッチやルソーが子供の教育にかかるといったような精神でもなく、お松や与八のように、子供そのものと共に学ぶというのでもないことは勿論《もちろん》です。
 あらゆるものと遊び、あらゆる人間を涜《けが》し来《きた》って、倦怠と、自暴《やけ》とのほかには、何物も贏《か》ち得ていない荒《すさ》み切った自分の興味を、今度は、子供たちをおもちゃにすることによって、補おうとする転換に過ぎますまい。
 だから、時を期してここへ集まった子供らに、主膳は露ほども教養の制縛を与えないのです。与えないのみならず、あらゆる野卑と、悪戯《いたずら》と、不行作《ふぎょうさ》と、かけごと勝負と、だまし合いとを奨励して興がるかの如く見ゆる。
 そこで、相撲も、凧上げも禁じない如く、丁半《ちょうはん》、ちょぼ一、みつぼの胴を取ることまでも、主膳は喜んで見物する。なかには、その辺の知識経験で、主膳に舌を捲かせるほどの文才を発見することもある。
 大人も及ばぬ、猥褻《わいせつ》な挙動と言語を弄んで、平気でいるのもある。
 性の知識と裏面、その楽書、その振舞
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